ダウン症で自閉症、かつ知的障害・多動性障碍児の娘と保護犬


by haafuu
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音楽の力

「お歌〜、お歌〜」とよく言います。
童謡が定番ですが、アップテンポの曲にはノるようです。

前に、ユニクロでかかってたヒップホップ系の音楽で
横着にも、座りながらダンスしてましたし。

友人が「音楽を聴くのではなく、感じるのでは?」と。
なるほど、そやわ。感じてるんやわ、きっと。

音階は取れないのですが、リズム感は確かにいい。
例えば、「君が好き♩」なんて歌詞があると、意味は分からないまでも、
いつもの口癖「なんでやねん」を、そらまあ、ええ間でいいよります。
親は爆笑^0^

ちなみに、友人の歌「たとえば」というオリジナル曲があるのですが、
これがお気に入りで^0^



小田和正は「終わりやぁ」「むりきらい」やそうです。
なんの好き嫌いかは分かりません^^;
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# by haafuu | 2013-04-02 15:50 | nonoka

トイレ練習

いよいよトイレ練習を、ということでして。
ほんで今朝。
大きい方をもよおしましたので、妻に「紀乃花、連れていこか?」
と半ば冗談で言いましたら、「見せてみて」と^^;

ほんまかいなとも思いながら、紀乃花の手を引きトイレへ。
「おとーたん、これからトイレ」と伝えながら。

ドアを開け、ジーパンなどをおろし^^;いざ!
「きばってる顔して」とリクエストがきたので、
すんなりモードであったにも関わらず、きばり顔を、紀乃花に。

すると、紀乃花。
ズボンを脱ぎ出し、オシメも脱ごうとしまして。
ええ、真似をしたのでしょう。

こうなると、便器に座らせるまで?と一瞬思いましたが、
いやいやいや、まだ途中やし、こっちは!ということで、
紀乃花にはお引取り頂いたわけです。

こういうことから1歩づつ?
何事も物まねから?
ほんまかいな。

あと何回「見せ」なあかんのかいな。
妻よ、今度はお前の番だ!!^0^
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# by haafuu | 2013-03-29 14:28 | nonoka

自傷行為

これが治まれば随分いいのですが、中々そうはいかない。
右手で自分の側頭部をバシっと叩く。
何が起っているのか分からない状況だと叩く。
自傷だけでなく人の顔も叩く。それも相当痛い^^;

去年の9月頃は、親はもちろん、お友達の顔、先生の顔も叩いてました。
ある日の学校参観で、先生が紀乃花に顔を叩かれたのに、
何も無かったように振る舞っていたのを見て、気の毒であると同時に
「おかしんやないかえ?」と思いました。

まだ妻になる前の妻に訊くと、本人が叩く状況にしてしまったことが
良くなくて、叩く本人を諌めないという意味のことを知りました。

え?おかしいんちゃうん!?
なんぼ障碍児で判断力が乏しいとしても、
人の顔を叩くのはアカンて教えなアカンやろ、
アカンもんはアカンねん、と私は教えたいと妻に言いまして、
以降、妻のアドバイスを受けながら、
「顔は叩かない。何か伝えたい時は、肩を叩きなさい」
という感じで伝え続けました。

するとですな^0^
いつの頃からか、12月くらいからか、叩く回数がめっきり減り、
今ではほとんど叩かれることはなくなったのですわ。いえい!

学校でも人の顔を叩くことはほとんどないらしい。
成長しとるがな。伝わっとるがな^0^

自傷行為はまだあります。
しかしそれも以前に比べると躊躇する時もあるし、
以前に比べれば随分マシになってます。
もちろん、ほんまにパニクった時には、バシっといきよりますが。
これがまた引くんやなあ、さすがに^^;ドキっとする。

それでもね、先日、支援施設のイベントに参加した時、
パニクり状態になったような時に、
足を投げ出して座っていた紀乃花は、
側頭部ではなく膝辺りを叩きよりまして、
「今、頭にいけへんかったで」と妻と確認。
こら進歩やがな!と感動したのでありました。
その1回だけですが^^;

頭を叩かない。それを教えるためにやってきたことは、
紀乃花が叩く度に「頭は叩かない」と言いながら、
側頭部を撫ぜまわしてきました。
これが、どうも紀乃花には「遊び」だったようで。
これ、失敗ですな^^;

今も、「こんにちは」と紀乃花が言い、
「こんにちは」とこちらが返すとパシ。ええ、バシではなくパシ。
遊んどりますわ。

「頭はなでるぅ」と言葉は覚えた紀乃花ですが、
そう言いながら時にパシっ!やもんなあ。

併せて、自分の太もも辺りやお尻を叩くように、
毎回「ここを叩きます」と指導してるのですが、
今のところ、あの1回だけですわ。

何が正解になるのかは分からない。
試行錯誤しながら、様子をじっくり観察しながらやってます。

ただ、成長してきているように思います。
「かしこなってんちゃうん!?」と夫婦で笑いながら、
そろそろ「トイレ」を教えていこかというところです。
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# by haafuu | 2013-03-27 17:03 | nonoka
紀乃花と暮らすようになって4ヶ月。
ここまでの感想を。

嫌なもんは嫌、好きなもんは好き、これがはっきりしてます。
これは自分と照らしてみても、「そらそやわな」と思える。
ただ健常者は自己抑制が、コントロールができるし求められる。

紀乃花はそれが「全くできない」のではなくて「できることが少ない」のですが、
ざっくと大きく括れば「よう似たもんやん」というのが結論です、ええ私らと。

昨夜、風呂場で頭にバリカンをあてました。丸坊主なもんで。いや、ハゲなもんで^^;
その時、唾を何度も吐く癖があるようです、私に。
口の中に何かが入って唾を吐くのではなく、なんや癖のようです。
自己分析すると「なんや落ち着く」感じです。
或いは、唾を吐いてないと「なんや気持ち悪い」感じです。

いつから始まったのか分からない。
妻に指摘されて気づいたこと。

やめろと言われれば止めれるでしょう。
でも、言われなければこれからもやるでしょう。

他人から見たら「なんで?」なこと。
でも本人には「いつものこと」です。

他人から見て「なんで?」が紀乃花には多いけれど、
本人は「いつものこと」なんでしょう。ええ、ここですわ、
似たようなもん・・・。

私も紀乃花と接する以前は、
障碍児童を「特別」或いは「特殊」というような感覚で見ていました。
今も「まあそら特殊やわな」と思います。
しかし、基本的なところ、根本、人間くさいとこは「似たようなもん」となりました。

いや、紀乃花を見てると「人間よなあ」とホンマ思います。
人間やし、こうやわなあ、本来は、と。

嫌なもんは嫌やし。好きなもんは好きやし。

この大前提って、実はとても大事なことではないかと思うのです。
その前提があってこその「障碍者」ということではないかと。

そしてこの前提は我々にも当てはまるし、必要なことです。
自己抑制やコントロールは「覚えてきた」だけのことです。

覚えられない、覚えにくい紀乃花に対して、「大前提」を外しては
たぶん親が参ってしまうのではなかろうか?そうも思います。

もちろん、「アカンことはアカンねん」と伝え、教えています。
でもたぶん「嫌なもん」を「好きなもん」にどう変えていくか、
こっちがテーマやろうと、
書き記しながら自分の考えが少し整理できました^^;

トイレに行くことを教えていこうと、暖かくなったのでやろうと思ってます。
聞けば、オシメでしてしまう不快感よりトイレでする「気持ちよさ」を
教えていくんですってね、普通。

紀乃花にもそこを教えていきます。
ただ時間が「普通」よりムチャかかるのは間違いないでしょう。

トイレに行くのが「好き」「気持ちいい」になんとか。
思えば、私も脱糞の快感を知っています^0^;
皆さんもご存知でしょう。
繊維質のものを食べようと思うのは、その快感を知っているからでしょう。

よう似たもんです^0^


※障害・・・本来「障碍」「障礙」と書いて、ものごとの達成や進行のさまたげとなること。
  また、さまたげとなるもののこと。
当用漢字以前には「障碍」と書いていたもの。
「障碍物」など、明治時代から多用された語である。
  現在のような「身体の器官や能力に不十分な点があること」
という特定の意味ができたのは後年のこと。

  「障碍」か「障害」か「障がい」か、或いはもっと違う言葉か。
  どんな言葉を使うのか考えるところではあります。
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# by haafuu | 2013-03-21 14:11 | nonoka
ブログのタイトル、内容を一新しました。
これまでのものからガラっと変わりまして^^;

障碍を持ち、かつ心臓病ももっていて、さらに左半身に少々麻痺のある
そんな娘・紀乃花の父親になって3ヶ月ほど。ええ、再婚しましてね^0^

「えらいことに!」という感想を持たれると思いますが、
ま、確かに大変っちゃあ大変なんですけれど、この娘があーた、おもろい^0^
そんなオモロさを伝えつつ、障碍児の子育てについて感じたことなどを
今後、記していきます。

まずは変更のお知らせでした。

さぁて、どんなことを書いていこうかいな^0^
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# by haafuu | 2013-03-15 13:08
反主流Vol.214

いろいろあるなあ・・・から始まった話。
何かいな?と聴いていくと、それは

まだあんねんや・・・

と続き、

次は・・・今日、3カードあんねん・・・

と繋がっていった話。

「得点高いでぇ」も付け加わり。

まず。
人が亡くなった話が立て続けにあったという事実。
10万人ほどの人口ですわ、淡路市。
ウチコシっさんの近所で、それも知り合いが・・・なんて、
こんなことあります?

そして。
ウチコシっさんの喋るトーンはシリアスモードです、確かに。
しかし、話の組み立ては・・・ここが彼の話術、話力といえるところでしょう。

本人は真理外なく「いろいろあるなあ・・・」「えらいことやなあ・・・」と
実感した、「人生て・・・」とも考えたでしょう。

でも私に、他人にに話すとき、
人が興味を引く、持つような話力がある、これはまさに才能でしょう。

普通は、シリアスな話は、シリアスなまま終わりますわ。
或いは、近所の人が死んだ話は・・・そないせんわなあ^^;

人が死んだ話が好きなウチコシ・・・というわけではないと。
おそらく、彼は人一倍「人は死ぬんよなあ」と、その感受性で受け止める。

飼ってた犬が死んで、彼は歌を創った。
そういう意味ではミュージシャン、アーティストと言える。

ただ、他人の死、つまりは「普遍的な死」というところまではいかない。
歌で表現するよりも、「トーク」で伝えようとする・・・たぶん・・・
単なる「近所で起った出来事」という枠を越えて・・・!??!

アホらし^^;ウチコシっさんの死生観まで行こう思うたけど^^;
そこまで考えてませんわ、あのおっさん^^;

さて。
「次は・・・」と言って、少しかれは笑った。
これはね、「いろいろあるなあ・・・」と実感しながら、
「あれ?3カード?」と思った、頭をよぎった。
それを思い出しての笑いですな。

で、「3カードあんのよ」と。
思い出したんですわ、私とのトーク中に。

「3カード」て、んなことよう言うわ。

こんな彼の話術。話力を、リスナーが、一般的な人が、
日常生活で活かすことなんてできるんやろか?

できるんです^0^

死んだ話は低温ヤケドするので勧めませんが、
大事なのは「3カード」!

3段オチともいうように、やはり「3つまとまる」と
話はとても興味深いものになる。

ビジネスシーンで、家族に恋人に、友達に話しをする時、
「3つまとめる」ことで、「わぁ~話上手!」という評価を
得られるようになること間違いなし!

あ!私も「てふてふ」で実践してみやなアカンわ。

因みに。
今回の3カードは、冤罪くさい話も加わって、
どうやらフルハウスではないか・・・
うわ、こんな話、地上波では無理やがな・・・
さすが反主流^^;

反主流Vol.214
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# by haafuu | 2011-12-21 14:55
まずは聴いてもろてからの方がええのかな。
反主流Vol.214はコチラから

☆結婚式はさむい
こんなことが普通に言えねんなあ・・・このオッサンは。ウチコシは。

たった一言「日」が抜けるだけで、意味が変わってしまう、
それを彼はなんの、なんの躊躇もなく言えるんやなあ。

私・ふうが「披露宴の日が寒い」と、まあ突っ込みましたわ。
まさに漫才の「ボケ」が日常となっている、てことやと思います。

ところが、聞き逃してしまうくらいの「何気なさ」でして、
これが曲者ですわ。

「ボケやで~」という言い方をしてくれた解りやすくもあり、
突っ込みやすくもあるのでしょうが。
そういう意味では「高度な」と・・・言える・・・んかなあ^^;

そもそも、仮にも自分が出席する結婚披露宴、
新郎は27歳の若者で、私の大学の後輩、今、レッスンもしてまして
私と同じような業界で生きていこうとしてる子で、
毎年GWに行われる打越の地元のイベントに
新郎をMCとして呼んでいる、そんな関係もある・・・。

若者に対する打越は厳しいけれど(若者だけではない^^;)。

でもウチコシは・・・そう!

新郎個人に対して直接は責めていきません。
なんと言うか、「出てくる」・・・そう「出てくる」・・・て感じ。
新郎⇒若者全般⇒なんぞ言うたらんかい!という発想⇒・・・
といったことを刹那に、一瞬にめぐらせる。

そして「結婚式はさむい」。

『土曜日の結婚式の日、寒いみたいやな』
『あいつの結婚式やからやで!』
『寒なって当然か』
「あっはっは!』

と言うなら普通ですわ。
愛情を持って、しかしなんぞ言うたらんかい!という
大阪にはよくある普通の発想、普通の発言だ。

しかし、ウチコシは違いますわ。

私の「今夜から土曜日にかけて寒くなる」という言葉を受けて、
「結婚式はさむい・・・」と言う。
これは「畑中が寒いと言ったからよ」という巧妙な逃げ場所
踏まえてます。

私が「あんた、そんな言い方ようするなあ!」と突っ込めば、
「あんたが寒いと言うたから乗っただけ」てな
「逃げ場所」が効力を発揮する仕組みですわ。

たった一言、「の日」をカットするだけで
そこに「ある意味」が生まれる。
それが絶妙なオモロしろさを産む。
そう、「引き算」によって笑いになる「足し算」となる・・・
というてもええと。

しかしまだ終わりません。
さらに、「寒波が来て寒くなる」という私のフォロー発言にさっと反応して、

☆日頃の行いやなあ
と言う。ひ、ひ、日頃の行い!?

「あいつの」という言葉すら使わず、さも一般論のように、
「日頃の行いやなあ」と言う。

もちろん、新郎の日頃の行いを知るわけもなく、
ウチコシが新郎から大きな迷惑を蒙ったこともないし、
ちゃらい感じはあるものの、真っ当に生きてきた男ですわ、新郎は。

で、「日頃の行いが悪いから」とも言わない。
「日頃の行い」が、良いとも悪いとも言わず、
「日頃の行いやなぁ」て!

しかし結果として・・・つまりはその場の思いつき展開なんですが、
まるで計算された会話のように、聞こえる。

「冬は寒い」=「日頃の行いが悪いから寒い」

新郎個人を名指しせずに、つまりは直接的に新郎を責めたりはしない。
しかし「なんとなくへこむ・・・」という気分に、新郎が聞けばなる。

これこそが、ウチコシ曰く「スネを蹴る

反主流冒頭のわずか27秒という時間でやり取りされた会話の中に、
一朝一夕では到達できないもの・・・それを「技」と言えばいいのか、
「天性」と言うたらええんやろか。

真似ようなんて思っちゃいけないぜ!
ヤケド・・・それも、低温ヤケドするぜ!

反主流Vol.214はコチラから
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# by haafuu | 2011-12-19 16:39
これまでの「人間万感」ブログを変更することにしました。
コンセプトは同じ・・・「人間という、この不思議な存在」でありまして、
対象を「ウチコシモトヒサ」ひとりに絞ろうと^0^

テンプレートデザインは「ゴールドうんち」
ま、人間の営みは色んな経験を消化し、その結果出てきたもの・・・
どんなうんちをしたか・・・ではないかと思うのであります。

金色に輝く「うんち」ならば、それはそれはええ人生を送ってきた、
とも・・・やや強引ですが^^;・・・そう思うのであります。

ウチコシとの付き合いも20年を越え、
最近ようやく解ってきたようなところがありますが、
いやいや、この男は侮れない。

そして、何より「なんでこんなオモロイねん!?」と思いながら、
彼は肝心なところではそれを出さない、出せない?出さない^^;

しかし知れば知るほど、ハマる人にはハマる魅力?を持っている。
案外「ハマる人」が多いかもしれない^0^

もちろん、遠巻きで見てる分には・・・です^^;

奴には触れるな!ヤケドする・・・いや、低温ヤケドするぜ!!

ということで、ラジオコンテンツ「反主流」とリンクしながら、
「反主流」での彼の発言を分析、解析しながらお送りしてまいります!

お楽しみに!?
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# by haafuu | 2011-12-19 13:05 | uchikosism
日経ビジネスより~

「日経ビジネスより」ってのが、いつもとは違うでしょ^^
「なるほど~」と思った内容なので全コピでお届けします。

2010年10月19日(火)
素人は「戦略」を語り、プロは「兵站」を語る
第2次世界大戦はグローバルロジスティクスの闘いだった

大矢 昌浩

ロジスティクスという言葉は、軍事用語の「兵站術」をビジネス用語に転用したものだ。
軍事や戦史に関して筆者は全くの素人ではあるが、
その研究者や資料・文献から学んだことは多い。

とりわけ第2次世界大戦は、アメリカをはじめとする連合国と
日独伊の枢軸国によるグローバルロジスティクスの闘い、
「グローバル補給戦」だったと言われている。

それまでの戦争が基本的に決戦場における指揮官の采配や
軍隊の士気に勝敗を左右されていたのに対し、
第2次世界大戦では必要な兵隊と物資を決戦場に送り続けることのできたほうが勝った。
作戦の優劣以上に兵站術が大きかったという評価だ。

そのため、戦い方としては、資源の調達から軍需工場での生産、
そして決戦場に至るグローバルなサプライチェーンを高度化すると同時に、
相手にはそれを許さない、敵のグローバルロジスティクスの弱点を見つけてそこを叩く
というやり方が有効だった。

空港や港湾、軍需工場などに戦略爆撃をかけて使用不能にし、
また軍事物資を運ぶ商船や兵隊を乗せた軍船を潜水艦で撃沈する。
それによって主戦場に物資を供給できなくさせる。

日本軍になかった「グローバル補給戦」の概念

ところが、日本軍は真珠湾攻撃の奇襲に成功しながらも、
そこにあった艦船を補修するための乾ドックや補給タンクには爆撃を加えずに放置した。
そのことが後に仇となった。

1942年6月のミッドウエイ海戦で日本は大敗北を喫し、
その後の主導権をアメリカに奪われることになるわけだが、
真珠湾の乾ドックを潰しておけば戦局はまた違ったものになっていただろう。

日本はミッドウエイ海戦に「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の空母4隻を参加させている。
一方のアメリカは、本来なら「エンタープライズ」と「ホーネット」の
2隻の空母しか用意できないはずだった。

ところが当時の米太平洋艦隊司令長官のチェスター・ニミッツ大将は、
その1カ月ほど前の珊瑚海海戦で被弾し戦闘不能状態にあった空母「ヨークタウン」を、
真珠湾の乾ドッグに入れ、驚異的なスピードで補修して、ミッドウエイ海戦に間に合わせた。

空母は海戦における主戦力であり、その数的優位性は極めて重要だ。
歴史に「たら・れば」はないとは言うものの、
ミッドウエイ海戦における日米の空母の数が4対3ではなく4対2であったなら、
戦いの様相が大きく変わっていたことは、多くの軍人・研究者の一致する見方だ。

さらに、日本が「グローバル補給戦」という概念で第2次世界大戦に臨んでいれば、
連合国に勝つまでには至らなくても、負けないようにする、
引き分けに持ち込むことはできたと分析する戦史家もいる。

ドイツ軍のクルト・フリッケ海軍軍令部長は1942年春に、
当時の野村直邦海軍中将に共同作戦を打診している。
連合国の補給ルートを一緒に断とうという作戦だった。

当時のヨーロッパにおける連合国の主力は、
イギリスが中東に置いた65万人の部隊だった。地中海を枢軸国が抑えていたため、
その補給ルートは大西洋側からアフリカ大陸をぐるりと回るほかなかった。

この補給ルートを潰せば、中東のイギリス軍は孤立する。
そこで大西洋側のルートをドイツが叩くので、インド洋側を日本が叩いてくれという要請だった。

日本が担当するインド洋の海戦では、
マダガスカル島のディエゴ・スワレスという軍港が決定的な要衝だった。
ディエゴ・スワレスを基地にすれば、日本軍が連合国の補給ルートを断つのは容易と考えられた。

そして当時のマダガスカルはフランス領で、フランスはドイツの占領下にあった。
日本軍はディエゴ・スワレスを利用できた。しかし、この共同作戦の申し入れを日本は断っている。

当時のインド、イラク、イランはすべて反英国家で、独立運動の最中にあった。
中東のイギリス軍を追い出し、アジアの反英国家を見方につければ、
日本とドイツは東西からユーラシア大陸をまたがって連結できた。

その結果、枢軸国が北極を挟んで北米大陸と対峙する形になる。
その体制に持ち込まれたら、
連合国はノルマンディー上陸作戦のようなヨーロッパ侵攻作戦を採ることが
ほとんど不可能だったという分析を後の戦史家は下している。

明暗を分けた「兵站計画」の有無

当時の日本はもちろん、ドイツにも北米大陸を占領する力はなかった。
従って、第2次世界大戦で枢軸国が連合国に勝つ可能性はなかった。
枢軸国の狙いは当初から「短期決戦・早期講和」だった。

日本とドイツの共同作戦が実現していたなら、そのチャンスはあったのかもしれない。
しかし、日本はそうした戦略思想を全く欠いていた。ロジスティクス軽視は致命的だった。

太平洋戦争に突入する前夜の日本では、
連合国のアメリカ、イギリス、オランダを相手とした戦争計画を、
陸軍と海軍がそれぞれに立案し、毎年、天皇に上奏していた。

しかし、ロジスティクス計画についてはペーパー1枚が割かれていただけで、
その中身も、「全国民が一丸となって節約に励み、物資動員に全力を注ぎます」といった、
スローガンに近いのものだった。

一方のアメリカは1941年6月に、
フランクリン・ルーズベルト大統領が当時の陸軍幹部に対して、
枢軸国と戦争になった場合の詳細なロジスティクス計画を提出するように指示を出している。

その指令を受けて作成された兵站計画が、
後に「ビクトリープラン」と呼ばれる第2次世界大戦の壮大な物資動員計画へと発展していく。

その計画は枢軸国がどのような戦略を採るかという分析からスタートする。
そして連合国が枢軸国に勝つには、どれだけの兵員、武器・弾薬、物資を、
どこに投入する必要があるのかを弾き出す。

さらに必要な物資はアメリカ内で調達できるのか。
生産にはどれだけの期間がかかるのか。何隻の船が輸送に必要なのか。
一つひとつ見積もって計画を詰めている。

その結果、連合国が枢軸国に勝つのは可能だという結論を下す。
ただし、必要な物資が揃うのは1943年の半ばになる。
そのため、連合国が攻勢をかけるのはそれ以降だという答申を出している。

それに対して、日本ではビクトリープランに相当するロジスティクス計画が、
結局、最後まで策定されなかったようだ。

中央集権型から自律分散型へ

この第2次世界大戦の戦いのあり方は、
今日のグローバル市場における企業間競争と重なるところが多い。

今日の企業は、最終的に商品を販売している市場の中での競争だけでなく、
その商品を生産している工場、そして部品や材料の調達先まで、
グローバルに広がったサプライチェーン全体での競争を強いられている。

何が競争の勝敗を左右しているのか、従来よりも広い視野から分析し、
自社のサプライチェーンを強化すると同時に、可能であれば競争相手の弱点を突く。

キーパーツや稀少な資源を先に抑えてしまうことで、
敵のサプライチェーンに打撃を加え、相対的な優位に立つ。
そうしたビジネス上の“戦略爆撃”が実際に頻繁に行われている。

一方、今日の軍事戦争は、冷戦時代を経て「テロとの戦い」の様相を呈している。
そこでは従来の国家間戦争におけるロジスティクスの手法が通用しない。

正規軍同士の戦争では相手の居場所と兵力が特定できるので、
戦場がどこになるか、そのために補給線をどう敷くべきか、事前に計画を立てられる。

しかし、対テロ戦ではどこが戦場になるのか予測がつかない。
そのため、アメリカの海兵隊は現在、
必要な物資をできる限り自分たちで持っていく方向に動いているという。

ビジネスに当てはめれば、商流と物流を分離することでロジスティクスを効率化した“商物分離”を、
改めて“商物一体”に戻していることになる。

それと並行して、突発的なテロ攻撃に素早く対応するために、
現場への権限委譲が必要になっている。

目の前で事件が起きているのに、いちいち本部に指示を仰いでいたら対応が後手に回ってしまう。
そこで部隊には行動原則だけを事前に示して、
具体的な対応方法は現場の指揮官の判断に委ねる。

このコンセプトに米IBMは「アダプティブ(適応力)」というキーワードを与えて、
ビジネスソリューションへの転用を図っている。

ERP(Enterprise Resource Planning、企業資源計画)が登場して以降の企業組織は、
すべてのビジネス情報を中央に集め、それを基にすべての計画を中央で立案し、
トップダウンで末端まで指令を下すという中央集権化が顕著だった。

しかし、それでは環境の変化に素早く対応できない。
また、どんなに多くの情報を集めて、どれほど高度な解析エンジンを使っても、
未来を見通すことなど不可能だ。

実際のビジネスは、予想外の事態に必ず直面する。
その対応を最前線の現場のリーダーに判断させる自律分散型の組織に変革することで、
変化への対応スピードを上げる。

勝敗のカギは戦略よりも兵站

戦史家のマーチン・ファン・クレフェルトは、
その著作『補給戦――何が勝敗を決定するのか』(中央公論新社)の中で、
「戦争という仕事の10分の9までは兵站だ」と言い切っている。

実は第2次世界大戦よりもはるか昔から、戦争のあり方を規定し、その勝敗を分けてきたのは、
戦略よりもむしろ兵站だったという。

端的に言えば
兵士1人当たり1日3000kcalの食糧をどれだけ前線に送り込めるかという補給の限界が、
戦争の形を規定してきた。そう同著は伝えている。

エリート中のエリートたちがその優秀な頭脳を使って立案した壮大な作戦計画も、
多くは机上の空論に過ぎない。

現実の戦いは常に不確実であり、作戦計画通りになど行かない。
計画の実行を阻む予測不可能な障害や過失、偶発的出来事に充ち満ちている。

史上最高の戦略家とされるカール・フォン・クラウゼビッツはそれを「摩擦」と呼び、
その対応いかんによって最終的な勝敗まで逆転することもあると指摘している。

そのことを身を持って知る軍人や戦史家たちの多くは、
「戦争のプロは兵站を語り、素人は戦略を語る」と口にする。

ビジネスにおいてもまた、
「経営のプロはロジスティクスを語り、素人は戦略を語る」と言えるのかもしれない。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

なるほど~!!

と思いませんでしたか?

あの戦争が「短期決戦・早期講和」だった・・・なんて根本的な話を
あの戦争について、僕が見聞きした限りでは知らない。

ただ、「そらそやろ」とはもちろん思ってきたし、
だからこそ、「なんで本土決戦までひっぱってんや!」と疑問を持ってきた。

そこで大事だったのが「兵站(へいたん)」やったのかぁぁ^^;
それがなかったなんてぇぇぇ!

日本の「戦争についての記事・番組」は、とても情緒的です。
戦争体験者の話に、戦犯の話、国家についてなどなど、情緒的すぎる。

僕が知りたいのは「なんで、戦争をし、なんであんな終わり方しかできんかったんや!」

「素人は戦略を語り、プロは兵站を語る」かあ。

今の政治をみても、「プロ」がおらんし、
過去の政治家をみても、「政治のプロとはなんぞや?」と
思わせることばかり。

結局日本の政治家は、そして日本人は「調整型」であり、
合理的な分析・判断で動くよりも情緒と雰囲気で動く。

こんな気質を良しとしているうちは、勝てん。
「高度成長が奇跡」やたのは、まさにその通り!
あれは奇跡ですわ。

そして、これからは「自律分散型」。
「自立」やないです、「自律」です。

そして僕は勝ちにいきまっせ!!
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# by haafuu | 2010-10-19 15:08

故中川昭一下財務大臣

続きである。単なる文句や愚痴ではなく、
「見極めていく」ことを目的として記していく。

前書きより
故中川昭一下財務大臣の「朦朧会見」の映像をこれでもかこれでもかと
  繰り返し流し、自民党の政治家のダメぶりを強調していた。

真実は結局分らないまま。
しかし、故中川氏の両脇にいた二人の「知らん振り」な表情は、
いったい何を意味しているのやら。

少なくとも「緊急事態」に、誰も動かず、何もしなかった・・・そんな「発想」がない、
というのが、とても大きな問題だと思う。

咄嗟の反応が鈍すぎては、どうしようもないやろに。

こういった「自民はダメ、民主はいい」というテレビのやり方に本書は物申す。

●映像には圧倒的な説得力がある。テレビが打ち出す「自民党=悪、民主党=善」
という図式の中で、選挙の際、多くの国民が民主党に投票するのは当然の結果だった。
実際、テレビの視聴時間が長い人ほど民主党支持が高いという調査結果さえあるほどだ。

去年の夏、確かに投票に迷った。
私の「視聴時間」は長いと思う。少なくとも短くはない。
だから迷った。

結果、私は自民党に投票したが、
それでも、民主党に大きな期待を持っての投票だった。

それは「政権交代」がいかにも素晴しいことであると、テレビが喧伝していたから、
と思う。少なからず、いや、かなり影響を受けたのは間違いない。

●その意味で、「政権交代」はテレビが実現したものであり、民主党政権はテレビが
つくり出した政権であるのは間違いない。

多くの国民は「いや、そんなことはない。自らの判断だ」というかもしれない。

しかし、その「判断」材料に、テレビからの情報が大きく寄与した、とは言えるのではないか。

新聞や雑誌に、辛うじて「冷静」「客観的」な記事が載っていようとも、
あれほど映像で繰り返されれば、影響を受けない方がおかしいだろう。

また、最近の「街のインタビュー」への返答は、まさに「テレビ的」である。
まるでテレビのコメンテーターばりに、「テレビが欲しがる」コメントを述べることが
できるようになった。

テレビは「視聴者の欲しがるもの」を提供する、何故なら、
それが「商品」だからだ・・・そう、需要がなければ販売はあり得ないのは
当然の話だ。だから、

テレビは「視聴者が欲しい」と思う情報を流す・・・

とするならば、まさに「政権交代」のために、「自民党のダメさ」を
国民は欲しがったということか?

こうなるとややこしい。

「テレビが民主党政権をつくった」とするならば、
それは国民がそうした、ということに他ならなくなる。

しかし、ここで。

国民が、私が感じていたのは「閉塞感」だ・・・とするなら、

何か、変わって欲しい!

と国民は感じていた。
それが政権交代、という波になった。
民主党の選挙戦略もうまくいった。

「何か変わって欲しい」→「新しい政権に」という、
まさにこの「→」に、テレビがいた、といえそうだ。

だから、「テレビが政権交代を実現した」は、やはり言いすぎだ。
しかし、僕らはかなり注意をしなければならない。

それは、映像の力、テレビの力、である。

テレビ局の人間も、制作をしている者の、編成であろうが、ADであろうが、
キャスターであろうが、そして、視聴者も、

「テレビという力」「映像の力」を行使することができる、
という意識を強くもたなくてはいけない、ということではないか。

第4の権力と言われるメディアは、
政治権力と同様に、結局は、有権者に視聴者にかかっているのだ。

それらの暴走をいかにコントロールしていくのか、
暴走し出せば、止めるのは容易ではないだけに、
どうコントロールするのか。

まさにメディアリテラシーが必要で重要なのである。
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# by haafuu | 2010-03-03 16:17 | テレビ政治の内幕