ダウン症で自閉症、かつ知的障害・多動性障碍児の娘と保護犬


by haafuu
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♩ぐーちょきぱーで、なにつくろう?なにつくろう?♩
これが紀乃花のお気に入りです。
特に「右手がぐーで、左手もぐーで、アンパンマン」
と、ぐーを両頬へ持っていくのが大好きです。
毎日、相手しています^^;

左に麻痺がある紀乃花は、左でぐーがやりにくいようです。
「左手もぐーで」の下りでも右手でぐーをやります。
左手でぐーを作るように指導してますが、中々^^;

ぐーで作るものには他に「たこやき」「雪だるま」があり、
ちょきとぱーで作るものには、「海老フライ」「かたつむり」が
あります。

紀乃花は「ぐー」が好きです^^;
ぐーばっかりなので、さすがに私は倦きます。
ですので、ニューバージョンを考えました。
両拳を前に突き出し、「はらたつのり〜」と教えてます。
神無月のモノマネのやつです。

ちょっと覚えだしてます。
学校で是非やってもらいたい。
何のことか先生が解れば、ウケること間違いなし?!

ウケを狙ってます。
「おもろい紀乃花」を増幅させていくのがええのでは?
と思うてやってます。

どうせならウケてこい!
笑いで周りを幸せな気分に!
笑いは力!障碍児への意識も変えていけるかも!?
それは分からんが^^;

紀乃花登場で緊張感が生まれ、
紀乃花のギャグで緩和が。
そう、それが笑いだ!

と思うてますが、どんな親や^^;
紀乃花とは結構対等に向き合ってるつもりです。
そのひとつが「ギャグの習得」だと思ってますが、
どんな親や^^;
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# by haafuu | 2013-05-21 12:32

安心してええのよ

安心してええのよ・・・
なんしか、不安になって自傷せんでええのよ、
なんぞあっても我々がちゃんとおるのよ、
ということです。

紀乃花に伝えていることですが、
日常の場面で言うてることでして、
そない大層な話ではありません^^

例えば歯磨きのとき。
本人が磨いて、仕上げを親がするのですが、
私の足の付け根辺りに頭を置いて磨いてあげることが
あるんですね。

ほぼ磨き終わって、「おしまい」というと「もう1回」と言う。
それを何度か繰り返します。
「もう1回!」というのを見越して、「おしまい」と言うてます。

この間、歯磨きが終り、本人が起き上がろうとした・・・・と
思っって動いたら、本人にそんな気はなかったようで、
頭が床にゴツン^^;

泣きそうな顔をしながら、側頭部を叩きよりました。
本気モードの自傷ですわ^^;
こうなったときは、ちょっと厄介です。

予期してなかったことが起こった、痛かった、驚いた、
だからどう対応してええのか判らない、パニくった・・・
ということのようなんですが。

興奮してます。
こちらに対して怒ってもいるようでもあります。
ごめん、ごめんとなだめます。
しかし、自傷は続く、頭を叩こうとします。

この日、私は頭を叩く右手を掴み、
紀乃花の目の前に私の顔を近づけ、
彼女の目を見ながら、

「大丈夫なんやで、紀乃花。
 おとーたんやおかーたんを信頼して安心したらええねん。
 ちょっとはミスもするけど、なんも心配せんでええねん。
 信頼しなさい。安心して大丈夫やねん」

と何度か繰り返し、言いましたら、
ほどなく落ち着いてくれました。
まさに、クールダウンしてく感じ。

言葉の意味は解らないまでも、
ちゃんと向き合う、伝えようとする行為に、
こちらの愛情てなものが伝わるのかいな?
それとも、説得力でもあったんかいな?
なんて思いましたが、
ま、時間も経ったし、自然な流れっちゃあ流れか、とも^^;

ただ「安心してええねん」は、子供に限らず、
「安心できること」は大事なことやと思います。
信頼する、全てをあずけることで、実は安心する、
そう思います。

普通の子供なら、「そんなんで泣きな!」で終わるか。
私なら終わらしてたやろうなあ^^;
それはそれで子供に必要な「そんなん」やと思いますが。

紀乃花の場合は、痛かったとか驚いたということが
まだまだ理解できていないようでもある。

それに、今回のことだけではありませんで、
なんぞちょっとしたことが起こったときに、
頭をバシバシ叩かないで済むように、
痛かった、怖かった、驚いた、ということが
違う方法で伝えられるようにしていってあげることが、
本人にとっても必要で大事なことなんやと。

しかしまあ、紀乃花にしてみたらですね、
「いやいや、全幅の信頼をおいてたし!
 ほんなら、突然頭が床に落ちたし!!
 痛いわ、びっくりするわで、
 そらな、パニくるっちゅうねん!」
ということかもしれんなあ^^;

ごめんちゃい、ののちゃん^0^







 
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# by haafuu | 2013-05-16 15:44
昨日。
支援施設から帰ってきて、手を洗い、タオルで拭く、
拭き終わったタオルをタオル掛けへ。

そんな流れを夫婦二人で「指導」しながら見守ってましたら、
紀乃花は、タオル掛けのきわにあるラックの縦のポールに
タオルを掛けようとしまして。縦ですわ、縦のポール^^;

そこで我々は「それはポールやがな!」と突っ込む、
そのあと本来のタオル掛けへ誘導する、
夫婦で「ええボケしはるわぁ」とウケながら・・・

なんてことは、うちくらいなんでしょうか?
知的障碍児ですから、「ボケた」というのは正確ではありません。
他所でやったらヒンシュクを買う!?^^;

私には、紀乃花を我が子として「かわいい!!」と思う
主観的感覚と、
「この子、おもろいなあ!すごいなあ!」という
客観的感覚がある、たぶんそう^^;

「この子、おもろいなあ!すごいなあ!」は、
まさに紀乃花に対する人間的な興味でして、
「この子、何を考えてやんねんやろう?」があり、
「この子はどういう感覚でいてやんねんやろう?」です。

不安を感じていたり、「かまって欲しい」と思ったり、
緊張していたり、色々です。
健常の子供もそうでしょう。

うちの子は、「何を考えてる?」とこちらが考えても
まあ解らんことが多いですが^^;
だからこそ、どこか諦観しながら観察し考察できるのかも。

少なくとも「なんか解っとぉる」ようではあります。

紀乃花を愛娘として接しながら、
ひとりの人間としての興味は尽きません。
障碍児としての興味ではなく、なんや人間の本質、
てなことを、彼女に感じさせてもろてます。

ほんま、おもろい子ですわ^0^

わが子を虐待する親は、
子供に対する興味、人間としての興味がない?
そういうことかもしれんなあ。

イジメも、相手に対する「人間への興味」というのがなくて、
「反応する相手」ということになってしもうてるのかなあ。

興味を持てば、大概のことは
「おもろい!」となります^^
偉そうなことは言えんのですが。
40半ばになってからですもん、ようやく解ってきたのは。
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# by haafuu | 2013-05-14 12:23

刺激が大事

今朝の紀乃花は「かしこ顔」しとりました^0^
なんというか、キリッと!聡明な顔つき・・・
ま、日頃と比較してですが。

昨日、GWということもあり、私の仕事現場に同行。
日頃とは違う大人たちと会い、刺激も受けたからでしょうか?

前にもこういうことがありました。
前日にいつもとは違う刺激を受けると翌日「かしこ顔」に。

こういう時は紀乃花に「べっぴんさん!」と声をかけます。
するといつものように「変顔」を披露しよります^^;
喜んでるようですが、、照れもあるのか?スカシてくる感じか、
或いは「ウケ」を狙ってるのか?
狙ってるなら大したもんですわ^0^

私が関わるようになって、やはりひとり増えたことで
紀乃花にはとても刺激になっていると思います。
行動範囲も拡がったし、家で交わす言葉数、種類も増えたし
変化した。

「外からの刺激」というのは、ほんま大事なんやと思うてます。
お袋の痴呆も、リウマチで外出ができず、人と会うのも
どんどん億劫になり、ひとりの時間が増えるごとに
すすんでいったと思います。
また、歳をとると、日常の変化も減る一方でしょう。
だから、できるだけ刺激を、好奇心を、ということでもありましょう。

脳のポテンシャルは凄いと思うてます。
そのポテンシャルをどう引き出していくかがテーマやと。
人並みに、は無理でも、「紀乃花らしさ」である、
「おもろいやん!」は特に伸ばしてやりたい^0^

で、その「刺激」の最大のものは「人と関わること」やないか?
そう思うんですなあ。
USJに行っても、翌日それほど「かしこ顔」でもなかったし^^;

学校や支援施設では、毎日色んなことをしてくれてますが、
それとてルーティンになるでしょうから、
親としては、「意外性」みたいな、そんな刺激を受ける場を
できるだけ設けていってあげようと思います。

季節的にBBQ^0^私がやりたい^0^
火に十分気をつけて・・・ま、少々熱い目をしてもええと思います。
「火は熱い、危ない」と体感する程度なら。

そうだ!BBQを企画しよう^0^
どんな刺激を受けてくるかな?
ま、こちらの思惑通りにいかないのが子供、ですよね^^;
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# by haafuu | 2013-05-04 14:28
紀乃花の言葉数が増えてます。
ほんま、よう喋る^^;ずっと喋ってる^^;

最初の頃、絵札を使って「言葉覚え」練習を、結構熱心に
してました、いや、そこそこ熱を入れて^^;

そこで「活躍」?したのが、ま、私はプロですから、
滑舌も見事な?教え方です^^;
その効果はそれほどでもなかった・・・・なかったんかい!

紀乃花の滑舌が良くなった、なんてことはありません。
恐らくは、母親の心が安定し、
それが紀乃花にも大きな影響を与えると。
さらに、2人より3人ですから、会話の量も増えた、刺激も増えた、
そういったことが良かったのでしょう。

しかし、私はナレーターで、プロでありますから、
普通の父親とは違う「効果」はないんかい?と日々考察しています。

言葉よりも、「音」「声」、その伝わり方に違いがあるなら、
これはプロとして嬉しいわけであります。

便秘気味です。腸の辺りに口を当て、「便なれ、便なれ」と
語りかけます。本人は嫌がってます^^;
だからまだ1回しかしてません。
声の振動が腸に伝わり、思いが脳に伝わり、
快便へと誘わないのか?!

普通に話しかけています。
特に「ツッコミ」を教えています。
普通に話しかけています。
「こうこうこういう理由でそれはアカンのやで」と言うてます。

その普通の会話に、「声のチカラ」「その振動」が作用し、
紀乃花に届いていたとしたら・・・。

実証することは無理でしょう。
しかし、それを信じるのであります。
ええ、プロですから^0^

いえ、プロでなくても「声のチカラ」を信じませんか?
声がいいとか悪いとか、声質には関係ありません。

声は正直です。
体調が機嫌が悪いとき、表面上は取り繕っても、
声には正直に現れていると思います。
いくら綺麗な言葉」を使っても、その心が「嘘」を言ってるなら、
いくら立派なことを語っても、それほど本気で思っていないなら、
それはバレます。

とても判りにくいです。
表情やしぐさ、雰囲気などの方が情報量は多いですし、
手振り、身振り、表情、声の大きさ、抑揚、強さなどに
誤魔化されます。

しかし、好感や反感を持つ要素に「声」というのが、
少なからず作用、影響しているのは間違いないでしょう。

よーく耳を澄ますと、目を瞑って聴いてみると、
「声の正直さ」が聞こえてくると思うのです。
ええ、判りにくいですが。


朝。
暖かくなると、彼女は早起きです。
静かにベッドから出て行き、静か目にひとり喋りを始めます。
ええ、この辺は気を使ってる?
いやいや、大きな声でやると、またベッドに戻されることを
理解しているから?

今朝も今朝とて、なにやら喋ってます。
いつものように、鏡の中の自分に語りかけてます。
聴いてみると、絵本を「読んでいる」ようです。
もちろん「読む」ことはまだできません。
しかし抑揚が、まるで「絵本の朗読」をしてるようなんです。

学校での絵本の時間、先生の語りを真似しているのでしょうか?
私も家でたまにやってますが、その効果なんでしょうか?

「この抑揚は・・・!?」

俺のやり方なんちゃうん!?いやいや、それはないやろう!!
いや、どうなんやろう!!ど、ど、ど、どうなんやろう!!!

プロですから。
あるかもしれん、と思うのです。
自分の娘ですから。
あるかもしれんと、思うのです。
ええ、自分を信じることと紀乃花を信じることは同列。

そういや、最近「二人、似てきてるで」と妻。
写真を見たら・・・なんやいな、似とるがな、佇まいが。
あれ?私が紀乃花に似てきた?
彼女への影響より、彼女からの影響が実は多かったりしてね^0^
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# by haafuu | 2013-04-25 12:00 | nonoka

けっこう知恵がはたらく

自傷行為で自分の側頭部を叩くのは
パニックに陥ったとき、自分でどうしていいか判らなくなったとき、
不安なとき等々、理由があるようですが、
毎日のように観察してると、どうも「癖」にもなっているようで。

そこには「快感」と言っていい感覚もあるのやろうな、と思います。
側頭部を叩かずに、太ももやお尻を叩けばええがな、
と言いい、指導もしてますが、中々そちらにはいかない。

たぶん、側頭部を叩くのが「気持ちいいい」ということも
あるのやないか?と捉えています。

そらそうですわ。
激辛カレーを好むのは、「快感物質」が分泌されるからやそうです。
しんどいマラソンに嵌るのは、ランニング・ハイと言われるように、
こちらも「快感物質」が分泌されるから。
人の行動の全てに、なんらかの「快感物質」が関わっているだろうと。

そう考えますと、紀乃花の側頭部叩きも合点がいきます。
我々の顔を叩くのを止めたのは、不安が無くなったか、
かなり減ったから、
という精神的な面が大きいと思いますが、
我々の顔を叩いても、それほど「快感」ではなかったのやないか?
しかし、自分の側頭部叩きは、「なんかわからんけど気持ちいい」
という面があるのでしょう。

で、「癖」になってしまってるのも、そういうことがあるから。
さらに!

けっこう知恵がはたらいている・・・

自分の思い通りに行かない場面で、叩きよります。
自分がかまわれていない時に、どうも叩いとーる。
側頭部を叩けば、周りが動いてくれる・・・てのを、
奴は知っているのやないか?いや、絶対解ってやる^^;

「頭は叩きません。叩くなら、ここ(太ももやお尻)を叩きます」
と常々言ってます。
「伝えたいことがあるのなら、言葉にしていいなさい」とも
最近、言うてます。
片言でも「言葉にする」ということを教え出してます。

側頭部を叩いて、それで注意を引こう、
自分の思いを叶えてもらう、
なんて了見は通じないのだぜ!

ほんで、それでは、もし迷子になったとき、
どんならんのだぜ。
住所・連絡先を記したものを見てもらえるようには
なっとかんと。
片言でも言えるようになる、ってのは必要なんだぜい。

普通の子供に比べれば、到達点にも限界があり、
時間もかかりますが、きっとできると思うてます。
いや、実際、できるように、ちょっとづつなってますし。

けっこう知恵がはたらきよるんですわ^0^
それが実に頼もしくもあるんですわ。

なんや、解っとるがな!と思わせてくれますわ。
ならば、どういうやり方が適当か、ええのか、てことを
我々に考えさせてくれますわ。

育児ではありますが、どこか「一緒にやってる」て感じです。

追記:「碍」について。
FBでも一部、紹介しましたが、「障碍」という漢字についてです。
「障害」ではなく「障がい」でもなく、「障碍」を私は選んでいます。
正解やったかな、と思うております。

『「障碍」の字の由来について、
故丸山一郎先生(元埼玉県立大学教授)は5年前の小論文に
「碍の本字は礙であり、大きな岩を前に人が思案し悩んでいる様を示す。
つまり自分の意思が通じない困った状態。
意思が通らない、妨げられているという同じ意味の障と碍を重ねた障碍は
人が困難に直面していることを示す言葉であった」と書いておられます。
この「障碍」こそが「チャレンジド」の的確な邦訳である
と主張する人もいますが同感です。』

以下、続きはこちらです。
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# by haafuu | 2013-04-23 13:25 | nonoka
箕面市にもたくさんの民間福祉団体があるようです。
世間には、それこそたくさんの市民団体もある。
勝手な印象で言うと、それらの団体は「権利獲得団体」或いは、
「権利主張団体」かいな?と思うております。違うんかな?^^;

例えば、市会議員と協力して制度のあり方を「より良くしていく」
というのを目的に日々の活動をしている団体ってのはあるのか、
あるのならどれくらいあるのかしら?

再婚してからのここまでで、いったいどれくらいの書類を書き、
提出したことか・・・この仕組みを変えていくには
どうしたらええのやろ?と考えるようになりました。

相変わらずの縦割りの結果?と思うておりますが、
個人で市会議員に言うても埒アカンでしょうし、
かといって、毎回クレームつけても一緒でしょうし。

母子家庭手当ての権利喪失。
簡単に言いますと、男ができたら喪失なんですね。
恋人でなくても、友人であっても、定期的に訪問する「男」が
できたら権利喪失なんですわ。特に調べもしませんわ。

女友達なら、同居していても、生活を助けてもろてても
権利喪失にはならんそうですわ。
もし同性愛者やったとしても、生活の面倒を見てもらっていても、
ええそうですわ。
もし私が同性愛者で、善意の友人でも、男やからアカンそうですわ。
もし調べて、「定期的に男が出入りしてた」となったら、
遡って返金させられるらしいですわ。

この辺のことを窓口で確認しての話です。
それが「法律」やからそうです。おかしな法律ですわ。

男ができた時点で、「扶養者」とみなされるそうですわ。
そして「おかしいんやないですか?」と訊いても、
「ルールですから」ですわ。

さあ、そこでです。
いくら窓口で、ああだこうだ言うっても埒があかない。
かつ、職員の方も、心を閉ざし、かたくなにもなるでしょう。

クレームではどんならん。
ましてや法律なんて、いち個人が、どないほざいても一緒です。

ほんなら、どんなやり方があるのかいな?と考えるわけです。
これまでの行政に対してのやり方ではない、
提案型市民団体てなものなら機能せんかいな?と。
時間は相変わらずかかっても、数多くの提案をし続ける団体、
ということが認知されるようになれば、役所職員とも協力関係を
作っていくことができ、変えていきやすくしていけるのでは?
と素人想像をするわけです^^;

とにもかくにも、職員の発想を変えてってもらわんと。
「無理です」から「できるかもしれないので、やっていこう!」に。

市会議員にしてもです。
なにせ距離が遠い^^;選挙以外で関わることがない。
これではいかん。しかし、関わる方法がこれまた分からない。
根性もない^^;煩わしそうだ・・・。
これでは、彼らは変わっていけない。
それこそ有権者の後押しや協力、関係が必要よなあ・・・

なんてことを考えながら、今日も紀乃花と戯れています^^
さあて。
もうちょいイメージを膨らませ、あれこれ考えてまいります。
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# by haafuu | 2013-04-19 13:50 | nonoka

さ、将来ですわ、将来

この春、小学2年生になった娘です。秋に8歳になる。
今はまだいいけれど、さ、将来ですわ、将来^^;

大人になっていくにつれ、それなりに物事が解っていくのだろうとは
思いますが、期待はあっても現実はどこまでいけるか判らない。
普通に就職、なんて無理でしょうし、
障害者雇用枠にも入れるかどうか。
たぶん無理でしょう。

さあ、そうなると、どなして生きていくのかいな、と考えます。
「夢と希望」については、また記すとしまして、
今日、FBで知った考え方が「構造化」というものです。

曰く、

「『構造化』は、私たちの社会の仕組みやルールを
自閉症の方たちが理解をし、
自閉症の方たちが“自閉症の文化”を持ちながらも
私たちの社会・文化でともに生活をし、
共存していくことができるように環境を整えていくという
“環境調整”の手法」・・・

ということで、まだよう解りませんが、うちの子にとっても、
なにやらええ手法かもしれん、と思いました。

紀乃花はダウン症で、ダウン症だけならば、
「ダウン症の文化を持ちながら・・・」
てのが結構当てはまっていきそうですが、
紀乃花は、これに「重度の知的障害」に「自閉症」「多動性障害」が
加わってます。

特に知的障害は、重度が中程度になったとして、はて、
どれくらいのことができるようになるのは、私にはまだ判らない。
中程度にしていく訓練も、どこで、どういう考えで、
何をどうやっているのか、よく分からない。

『WHO(世界保健機関)は2002年に
 ICF(国際生活機能分類)を発表し、
 障害や障害のある方たちの生活を考える上では、
 その人が有している障害や障害特性によるもの(個人因子)と
 その人の生活をしている環境面(環境因子)の両方の側面を
 見ていく必要がある、と言っています。

 個人と環境の相互作用・相互の影響により、
 その人が感じる障害の程度は大きくなったり
 小さくなったりするのではないかと思います。

 2002年までは、障害は、
 その人が有している障害や
 障害特性によるものだけで判断をされることが多く、
 障害のある方たちに対して「治療」や「リハビリ」等が行われ、
 障害を治そうとしたり軽くしようとしたりする
 取り組みや考え方が中心でした。

 しかし、ICFの発表以降は、「治療」や「リハビリ」など、
 障害のある方たちに対して努力や頑張りを求めるだけではなく、
 環境を整えることによって、
 本人が障害を障害と感じる程度を少なくしていこうという取り組みが
 されるように考え方が変わってきています。
 「バリアフリーデザイン」や「ユニバーサルデザイン」というものは
 ICFからもその必要性を考えることができます』

環境を整える・・・。
共存していくことができる社会・・・。

社会全体の理解は必要で、それがあってこそとも思いますが、
実際に「生きていく」「飯を食べていく」ということを、
紀乃花ひとりでは、まあ難しいわけでして、
で、彼女の働く場というのも、
現時点での想像では、これまった、まあ難しい^^;

ならば、紀乃花の利点は何か?
紀乃花の描く「書画」に可能性はあるのか?^0^
或いは、なんとなく感じる「特殊な能力」は、
果たしてほんまにあるのか?
紀乃花に「癒しの力」があったとして、
それで報酬は得られるのか!?

次回は、「夢と希望」について。
ええ、親バカワールド全開!かも^^;
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# by haafuu | 2013-04-17 15:20 | nonoka

天才喜劇役者か

自傷行為のひとつに自分の頭を壁にぶつけたりします。
その行為が親の頭や肩や体に及ぶことがあります。
こないだも母親が服を着せてるときに、母親の頭に頭突きを
食らわしよりました。
もたろん、怒ります。あかんやないか!と諭します。
忍耐比べ的に、親として「怒ってるぞ!」の空気を
ののかに伝えます。
本人も何かいけないことをしたというのは
解ってるらしく、神妙な顔をしてます。
その時ですわ。立っていたののかの右足が
微妙に流れていく。じわーっと滑っていく。
その間合いというのか、ほんま絶妙なんですわ。
思わずこちらは笑いそうになる。堪える。
でもどうしようもない。負けですわ。

こやつは天才喜劇役者か!と思うくらいです。
ほんま絶妙に足が床を滑っていく。
本人の顔は神妙です。まさに緊張と緩和。
笑いの鉄則をののかは知らずにやりよる。
おもろすぎてたまりません。

笑いを堪えながら、こらえきれず。
親の負けを認めつつ、しかしののかは解ってる、
理解してくれてるだろうと信じながら終了。
こういうことがいつもある。
その度に、こやつは凄い!と思う日々です。
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# by haafuu | 2013-04-11 20:11 | nonoka

五木ひろしのモノマネ

親は「似てる~」と絶賛している五木ひろしのモノマネ。
最近は、「五木~♪五木ひろしだよ~♪」(「夜空」より)と私が歌い、
モノマネのフリをしています。

するとこぶしを握り、いつもの「五木顔」になる。
もちろん、やる時と知らん振りの時があるのですが^^;

その時、なぜか片足を後方に上げてバランスを取るような格好もする。
紀乃花オリジナルなんでしょう。

とはいえ、本人は「五木ひろし」なんて知らないし、
親が教えた、というか、ある日やった変顔が似ていたので
勝手に「五木ひろしのモノマネ!」にしただけなんですが。

親がウケるのが楽しいようです。
楽しいことが好きなのは、子供に限らず、人間みなそうですよね。
大人になると、そうも言うてられんのですが、
この「楽しい」には、大きな力もあり、本質があると思うてます。

健常児の躾は、基本的に「理解できる」が前提だと思いますが、
うちの場合は「理解できない」が基本です。
少なくとも、健常児より相当時間がかかります。

人を叩く、自傷するなど、必要に応じて、
厳しい顔つきで「だめだ」と伝えていますが、
その他のことは「楽しい」が力となります。
健常児の躾についてもそうだと思います。

五木ひろしのモノマネがいったい何の役に立つのか、
でありますが、いやいや「オモロイ」はたぶんどこかで役にたつ。
親が言うことをきくと「どうも良さそうだ」ということが解ってくれたら、
色んなことを教えていくのにも役立つのではないかと思うてます。

こう書きながら、「なるほど、そういうことかもしれん」と自分で納得しました^^;
健常児の躾にも通ずるところがあるのではないかしら。

「案外、解っとるで、こやつは!」と思うてます^^;
なんとか理解していこうともしとるようです。

親子のコミュニケーション・ツールとしてのモノマネ。
いつでもできるようになれば、それは他人とのコミュニケーション・ツールに。
それは紀乃花にとって、自分を守るツールのひとつにもなる。

「紀乃花ちゃん、おもろいなあ!」で、友達ができる。
そして紀乃花は、その友達の顔を叩いて泣かす・・・
アカンがな^^;

道のりは険しい^0^;;
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# by haafuu | 2013-04-03 19:25 | nonoka