ダウン症で自閉症、かつ知的障害・多動性障碍児の娘と保護犬


by haafuu
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カテゴリ:言葉( 7 )

本当に正しく女性を見る目は、
ホルモンが冷めてからじゃないと
できあがらないんだ


田村隆一・・・1923-98
詩人のようです。
『ぼくの人生案内』は一読をと、PLAYBOY誌は勧めてます。
読もっかなあ^^;生涯に5度結婚しやはったって!
懲りんお方・・・いや、凄い方です^^;

ホルモンが冷めるのは、いったい幾つくらい?
人によって違う・・・そら、そうや。
加山雄三の父、上原謙は、70過ぎて子供を作った‘0’

そしてホルモンが冷めた後の男女の関係とは?
うむ、悩みの尽きない言葉を投げかけられたようだ。

大変おこがましいが、
「女性を正しく見」ようとする限り、我々男どもは見間違うのだ。
そして見間違いこそがホルモンのなせること、
恋とは錯覚、つまりは見間違い^^;
見間違う、つまり自分にとって「ええように」思い込めることが恋なのさ・・・。

そして、見間違い続けられるかどうか、
或いは、見間違いをよしとできるかどうか、
「あるがままを受け入れる」心境に近づけるかどうか、
「だって、惚れた相手やし」と言い放てるか、
「ま、しゃーないわ、好きやし」と得心させられるかどうか、

あ~男って・・・かわいい^0^
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by haafuu | 2008-01-25 12:21 | 言葉
男女の差は、度胸がすわっている、とか、心構えができているとか、
そういう精神的な理由によるものではなさそうである。
おそらく、その肉体構造の違いによるもので、
彼女たちの腹の中にどっしりと生殖器官を入れており、
あわれな男たちはその反対に縮み上がってしまうのである。
これは、冗談でいっているのではないので、
造化の主の意思といったものすら感じるのだ。
つまり、男は、女にダマされるべく、
創り成されている存在なのである。


吉行淳之助を僕はよく知らない。
名前は知っているが、著作を読んだことはない。
今度、本屋さんに行ったら手にとってみようと思う。

PLAYBOY誌によると、
「座談、エッセイの名手」
「性を追求し、男女の本質を表現しつづけた」
そうだ。

また、
「人物や事物に対する吉行流の柔らかな目線は、著書にある
 数々のアフォリズムによって窺うことができる」

アフォリズム???
『人生・社会での秘訣を言い表した簡潔な言葉、文。
 金言・警句・教訓・格言』ですと。
なるほど、「上手いこと言い」なタイプだったのね。

「また、酒場での立ち居振る舞いは特に女性を惹きつけたようで、
 ホステスたちにとって、気の休まる場所であったという」

男として羨ましいのやら、そうでないやら。
ま、上品な酒の飲み方、話し方をされた方なんだな。
かもし出す空気もよく、ある種、カウンセラー的な話もされたか。

さて、本題。
「男は女にダマされる、それでいいのだぁ!」
ということだ。
で、ダマされないようにと頑張り、駆け引きもし、
しかし結局相手が一枚上だった・・・で、
『ええ女やったなあ』と言わせてもらえれば、それでいいのだぁ!
ってことだ。

できれば一枚も二枚も上でいてね、と思うならば、
それもまた男の弱さ、甘えということだ。
そりゃあね、見透かされもしますわい。

男はね、こらもう、女に全てを預けてしまう覚悟で臨む、
その腹の据わりがあってこそ、ようやく、
生殖器官の違いを、そやな、シブロクくらいに持っていける、
ええ、5分5分なんておこがましい、ってことだ。

だから、「君のために僕は・・・」なんてことは思い過ごし。
主体は常に、女にあり。
女の言うことを聞き、反発し、誤魔化し、そして管理下にいることが、
男にとって幸せなんです、きっと・・・^^;;
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by haafuu | 2008-01-23 15:58 | 言葉
ぼくは男がえらいと思っていたブタだった。
いまではブタでなくてほっとしているんだ。
ブタであることへの圧力はものすごかったからね。


凶弾に倒れる直前のPLAYBOY誌インタビューでの言葉。
「僕は40になったらしんだが、人生は40から始まるんだな」
とも語った。

「男がえらい」なんてのは、
結局は政治、統治、というところから作り上げられたもので、
その前に、動物的なDNAも要因なんだろうが、
いまや、性的に人間としても、
「男がえらい」って信じているならば、
それはある種悲劇だ。

僕らはジョン・レノンのようにはいかない。
金も名声も手にしていないし、
あふれ出る才能にクラクラしたことないし、
女性にキャーキャー言われたこともなければ、
「あの娘、いいねえ」とひと言いえば近づける、
なんてこともない。
大観衆を前にして、「ああ、これも虚構か」と嘆いたこともない。

それでも、「男はえらい」から始めなければ、
随分と楽になるように思う。
何事も「ねばならない」は、自分を支えてもくれるが、
自分を苦しめもする。
ただし、「楽」になってからが本当の勝負・・・本質となりそうだ。

女には適わない・・・と本気で思うが、
僕は「男」になりたいと思うし、「男の顔」になりたいと思う。
それが少々窮屈であっても、「楽」になってから「男」になれたらいいな。
掃除洗濯自炊・・・僕、一応、なんでもござれです^0^
生活に心配がなければ、主夫業もできる・・・したいくらい・・・・^^;
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by haafuu | 2008-01-21 15:50 | 言葉
男とか男らしさとか叫ばずにいられないのは、
日本というのはよくよく男が弱い文化なのね。


日本に限らず、男とは「よくよく弱い」と思う。
いや、「弱い」という表現が当らないのならば、
「優しい」か、
「自我が控え目」か、
「比較的争いごとが嫌い」か、
「村社会の中で生きてきたから」か、
「農耕民族的」か。

格闘技を見れば、非日本人の攻撃性と
日本人の守備性が見て取れるように思う。

それは、狩猟系DNAを持っているいないの違いだ、
とも思えるが、本当のところはどうか。
韓国人は、おそらく中国からのプレッシャーを
常に受けてきたからこその、
自我の強さ、攻撃性ではないかなとも思うが、
脅威をそれほど受けずにきた島国DNAは、
やはりどこか弱っちいのかもしれない。

しかしどうころんでも、男は弱い。女は強いのだ。
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by haafuu | 2008-01-18 18:42 | 言葉
戦争を始めたブッシュはまるで
癌の専門医のようなものだ。
彼の治療法は、患者に18回の手術を行う。
患者が生き延びなかったとしても、
とりあえず正しいことをしているから
それでよし・・・。


ノーマン・メイラーは「ノンフィクション小説の革新者」と呼ばれる
アメリカの作家・・・。

昨年11月、急性腎不全で84歳の生涯を閉じた。
第2次大戦にも従軍し、進駐軍として銚子に滞在経験も。
曰く「日本は私が見た国で最も美しい国でした」

さて。
『手術しか方法はない』『それが正しい』となった時、
本人や家族は「よろしくお願いします」と医者にすがる。
しかし、その手術が3回、5回、10回、そして18回もされて
しまったとしたら?
「夫は実験に使われた」「夫は殺された」と思うだろう。
手術そのものが正しかったのか?と思うだろう。
誰のための手術だったのか?
専門医のための手術だったに違いない、と思うだろう。

手術に同意されたじゃないですか。
ここに誓約書もありますよ・・・

18回も切り刻まれた亡骸を前にして、
持っていきようのない思いに締め付けられる。
手術を選択したのは自分たち、その時に判断したのだ。
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by haafuu | 2008-01-16 13:21 | 言葉
もし、我々が空想家のようだと言われるならば、
救いがたい理想主義者だと言われるならば、
出来もしないことを考えていると言われるならば、
何千回でも答えよう。そのとおりだ、と。


葉巻を片手に微笑を浮かべている写真が載っている。
その笑顔、瞳に優しさを感じる。
誇り高きゲリラ戦士、チェ・ゲバラ

『甘ったるいと言われるかもしれんが、本当の革命家は、
 大いなる愛情に導かれている。愛のない本物の革命家なんて、
 考えられない』とゲバラは語ったそうだ。

彼の思想、その頃の南アメリカの状況を知らずに、
彼自身を批評はできないだろう。

共産主義革命がどういうもので、理想の果てに描いた世界が
どこまで理想社会だったのか判らない。

しかしいま、資本主義社会はどうだ?
膨張し続ける自由主義経済はどうなんだ?
そんなことを思わずにいられない。
その恩恵に与っているにも関らず。

暴力に拠らず、理想を描きながら現実をひとつひとつ変えて行く、
そんなやり方が出てきてもいいんじゃないか。
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by haafuu | 2008-01-15 15:29 | 言葉
日常とはなにか、私たちの日常とは。
それは世界が滅ぶ日に健康サプリメントを飲み、
レンタルDVDを返しにいき、
予定どおり絞首刑を行うような、
狂(たぶ)れた実直と想像の完璧な排除に上に成り立つ

~『たんば色の覚書・・・私たちの日常』(毎日新聞社)

以下、PLAYBOY誌に掲載されたいたもの全文です。
特に「感じた」ところは色を青にしてみました。

‘なにごともなく続いているかに見える日々の生活にどんな裂け目を発見し、
 どう対処するかーーー私達に突きつけられている最大の課題がこれです。
 世界の智者の多くがいま論議しているのは、
 <これまでの「日常」はすでに終った。
 かつてみたこともない規模と性質の風景がいま立ち上がっている>という、
 私達の生活全般にわたる、いわば異常現象を巡ってです。
 まず第一に、気候変動。地球温暖化はとっくに危険値に達している
 わけですが、それとともに、超大型ハリケーンや局地的豪雨、
 高潮の頻発、未曾有の干ばつや豪雪、酷寒・・・など、 
 気象の極端化がいま現在、進行中であり、日本の四季も
 もはや崩壊しかかっている。
 環境問題の専門家達はさしあたりの危機の到来を
 2030年と予測しています。
 熱帯夜がいまの何倍にも増え、北極の氷が激しく融けると
 予測されていますが、
 生態系の破壊をも含めると破局の規模は、
 実のところ予測不能なほど大きく、

 いま確実に判っているのは、
 間違いなく「トラジック(悲劇的)」だということです。

 悲劇が予想されるのなら、それを回避するよう努めるべきです。
 それが近代以降、20世紀までの人類史における良識というか、
 知的方法でした。
 しかし、21世紀現在では、破局の回避自体が難しくなっている。
 なぜかというと、悲劇や破局さえもが
 ビジネス・チャンスとしてしか捉えられない、
 万物商品化の世界と価値システムができつつあるからです。
 資本主義は、ケインズ的な通貨・金融の常識を突き破り、人間の意志や
 人智を超えて爆走しつつあります。
 サブ・プライム問題にしても、債権を証券化し、
 それが世界中に転売される過程で、
 悪性ウイルスのように予想を越えて拡大していきました。
 いまや市場や資本は人間のためにあるのではなく、
 人間がただ市場と資本のためのみ存在
 させられているわけです。
 資本は古典的な価値法則をみずからの延命のために食い破り、
 超資本主義ないしポスト資本主義という新たな段階に入っています。
 そこでは、国家や民族、倫理規範といった差異概念が、資本という、
 唯一的価値、つまりはオンリー・ワン・ワールドに呑み込まれ、
 気候変動のような人類全体が直面している危機の打開策さえ、
 利潤なし、儲けなしでは成り立たない、
 という、アポリア(論理的難点)に陥っています。

 そうするうちにも危機はますます深まっています。
 実体経済をはるかに上回るマネーが世界中に溢れ、経済も気候も
 いまや予測不能です。
 その意味では平穏な日常というのは終わりを告げ、
 恐慌や戦争といった、
 肝をつぶすカタストロフィと隣り合わせに私達は生きている。

 しかし、悲劇を予感しながら、私達はそれを回避する道ではなく、
 まるで催眠術にかかったみたいに、
 破局への坂を笑いながら転がっている。
 本質的にはトラジックなのに、現実はなぜかコミックに生きている。


 「恐るべき出来事というのは、
 ごくありふれた普通の日に起きるものだ」・・・
 ポーランドのノーベル賞詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカの言葉です。
 世界大戦も9・11のような事件も、
 あくびが出るほど退屈な日常のただ中に起きる、
 ということですね。彼女が訴えたかったのは、
 しかし、「ありふれた普通の日」なんか、実のところ、ありえない。
 「ありふれた普通の日」のように偽装された私達の日常
 が刻々育てている、破局への因子をみつけなければならない、
 ということです。
 戦争もテロも気候変動も、突然の変化に見えて、
 その実、数十年、数百年にわたる微小な変化の蓄積による
 爆発的な現象とも言えます。
 いま、足許で兆しているものに、もっともっと気を配る必要があります’


この文章を読み、転載し、そして僕は日常を過ごしてゆく。
たとえ「これまでの日常が終って」いようとも、
恐慌や戦争に見舞われようとも、
僕らは常に日常を行き続けていくしかないのだと思う。

不完全な想像は狂気を生む。
狂れた実直さこそが、正気をつかさどるための方法ではないか。

しかし、それがどんな日常であれ、
僕らは声をあげることができる。
こんな世界はおかしいのだと声をあげることができる。
おかしい世界の価値基準に恩恵を受けているとしても。
僕らは、「今ある規準」に対して柔軟だ。
文句を言いながらも対応していくくらい、しぶといさ。

それでも生き心地が悪いのならば、
声を上げ、行動していくことだと改めて思う。
「微小」な力であったとしても。
自分だけ大丈夫、だなんて、いい錯覚かもしれないが、
それは「偽装」にすぎないのだ。
「偽装」のうちに死ねたらいいけどね。
そうは問屋が卸さないだろう。
今日も祇園精舎の鐘は鳴っている・・・なんてね^0^
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by haafuu | 2008-01-14 15:18 | 言葉