ダウン症で自閉症、かつ知的障害・多動性障碍児の娘と保護犬


by haafuu
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カテゴリ:nonoka( 10 )

紀乃花の言葉数が増えてます。
ほんま、よう喋る^^;ずっと喋ってる^^;

最初の頃、絵札を使って「言葉覚え」練習を、結構熱心に
してました、いや、そこそこ熱を入れて^^;

そこで「活躍」?したのが、ま、私はプロですから、
滑舌も見事な?教え方です^^;
その効果はそれほどでもなかった・・・・なかったんかい!

紀乃花の滑舌が良くなった、なんてことはありません。
恐らくは、母親の心が安定し、
それが紀乃花にも大きな影響を与えると。
さらに、2人より3人ですから、会話の量も増えた、刺激も増えた、
そういったことが良かったのでしょう。

しかし、私はナレーターで、プロでありますから、
普通の父親とは違う「効果」はないんかい?と日々考察しています。

言葉よりも、「音」「声」、その伝わり方に違いがあるなら、
これはプロとして嬉しいわけであります。

便秘気味です。腸の辺りに口を当て、「便なれ、便なれ」と
語りかけます。本人は嫌がってます^^;
だからまだ1回しかしてません。
声の振動が腸に伝わり、思いが脳に伝わり、
快便へと誘わないのか?!

普通に話しかけています。
特に「ツッコミ」を教えています。
普通に話しかけています。
「こうこうこういう理由でそれはアカンのやで」と言うてます。

その普通の会話に、「声のチカラ」「その振動」が作用し、
紀乃花に届いていたとしたら・・・。

実証することは無理でしょう。
しかし、それを信じるのであります。
ええ、プロですから^0^

いえ、プロでなくても「声のチカラ」を信じませんか?
声がいいとか悪いとか、声質には関係ありません。

声は正直です。
体調が機嫌が悪いとき、表面上は取り繕っても、
声には正直に現れていると思います。
いくら綺麗な言葉」を使っても、その心が「嘘」を言ってるなら、
いくら立派なことを語っても、それほど本気で思っていないなら、
それはバレます。

とても判りにくいです。
表情やしぐさ、雰囲気などの方が情報量は多いですし、
手振り、身振り、表情、声の大きさ、抑揚、強さなどに
誤魔化されます。

しかし、好感や反感を持つ要素に「声」というのが、
少なからず作用、影響しているのは間違いないでしょう。

よーく耳を澄ますと、目を瞑って聴いてみると、
「声の正直さ」が聞こえてくると思うのです。
ええ、判りにくいですが。


朝。
暖かくなると、彼女は早起きです。
静かにベッドから出て行き、静か目にひとり喋りを始めます。
ええ、この辺は気を使ってる?
いやいや、大きな声でやると、またベッドに戻されることを
理解しているから?

今朝も今朝とて、なにやら喋ってます。
いつものように、鏡の中の自分に語りかけてます。
聴いてみると、絵本を「読んでいる」ようです。
もちろん「読む」ことはまだできません。
しかし抑揚が、まるで「絵本の朗読」をしてるようなんです。

学校での絵本の時間、先生の語りを真似しているのでしょうか?
私も家でたまにやってますが、その効果なんでしょうか?

「この抑揚は・・・!?」

俺のやり方なんちゃうん!?いやいや、それはないやろう!!
いや、どうなんやろう!!ど、ど、ど、どうなんやろう!!!

プロですから。
あるかもしれん、と思うのです。
自分の娘ですから。
あるかもしれんと、思うのです。
ええ、自分を信じることと紀乃花を信じることは同列。

そういや、最近「二人、似てきてるで」と妻。
写真を見たら・・・なんやいな、似とるがな、佇まいが。
あれ?私が紀乃花に似てきた?
彼女への影響より、彼女からの影響が実は多かったりしてね^0^
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by haafuu | 2013-04-25 12:00 | nonoka

けっこう知恵がはたらく

自傷行為で自分の側頭部を叩くのは
パニックに陥ったとき、自分でどうしていいか判らなくなったとき、
不安なとき等々、理由があるようですが、
毎日のように観察してると、どうも「癖」にもなっているようで。

そこには「快感」と言っていい感覚もあるのやろうな、と思います。
側頭部を叩かずに、太ももやお尻を叩けばええがな、
と言いい、指導もしてますが、中々そちらにはいかない。

たぶん、側頭部を叩くのが「気持ちいいい」ということも
あるのやないか?と捉えています。

そらそうですわ。
激辛カレーを好むのは、「快感物質」が分泌されるからやそうです。
しんどいマラソンに嵌るのは、ランニング・ハイと言われるように、
こちらも「快感物質」が分泌されるから。
人の行動の全てに、なんらかの「快感物質」が関わっているだろうと。

そう考えますと、紀乃花の側頭部叩きも合点がいきます。
我々の顔を叩くのを止めたのは、不安が無くなったか、
かなり減ったから、
という精神的な面が大きいと思いますが、
我々の顔を叩いても、それほど「快感」ではなかったのやないか?
しかし、自分の側頭部叩きは、「なんかわからんけど気持ちいい」
という面があるのでしょう。

で、「癖」になってしまってるのも、そういうことがあるから。
さらに!

けっこう知恵がはたらいている・・・

自分の思い通りに行かない場面で、叩きよります。
自分がかまわれていない時に、どうも叩いとーる。
側頭部を叩けば、周りが動いてくれる・・・てのを、
奴は知っているのやないか?いや、絶対解ってやる^^;

「頭は叩きません。叩くなら、ここ(太ももやお尻)を叩きます」
と常々言ってます。
「伝えたいことがあるのなら、言葉にしていいなさい」とも
最近、言うてます。
片言でも「言葉にする」ということを教え出してます。

側頭部を叩いて、それで注意を引こう、
自分の思いを叶えてもらう、
なんて了見は通じないのだぜ!

ほんで、それでは、もし迷子になったとき、
どんならんのだぜ。
住所・連絡先を記したものを見てもらえるようには
なっとかんと。
片言でも言えるようになる、ってのは必要なんだぜい。

普通の子供に比べれば、到達点にも限界があり、
時間もかかりますが、きっとできると思うてます。
いや、実際、できるように、ちょっとづつなってますし。

けっこう知恵がはたらきよるんですわ^0^
それが実に頼もしくもあるんですわ。

なんや、解っとるがな!と思わせてくれますわ。
ならば、どういうやり方が適当か、ええのか、てことを
我々に考えさせてくれますわ。

育児ではありますが、どこか「一緒にやってる」て感じです。

追記:「碍」について。
FBでも一部、紹介しましたが、「障碍」という漢字についてです。
「障害」ではなく「障がい」でもなく、「障碍」を私は選んでいます。
正解やったかな、と思うております。

『「障碍」の字の由来について、
故丸山一郎先生(元埼玉県立大学教授)は5年前の小論文に
「碍の本字は礙であり、大きな岩を前に人が思案し悩んでいる様を示す。
つまり自分の意思が通じない困った状態。
意思が通らない、妨げられているという同じ意味の障と碍を重ねた障碍は
人が困難に直面していることを示す言葉であった」と書いておられます。
この「障碍」こそが「チャレンジド」の的確な邦訳である
と主張する人もいますが同感です。』

以下、続きはこちらです。
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by haafuu | 2013-04-23 13:25 | nonoka
箕面市にもたくさんの民間福祉団体があるようです。
世間には、それこそたくさんの市民団体もある。
勝手な印象で言うと、それらの団体は「権利獲得団体」或いは、
「権利主張団体」かいな?と思うております。違うんかな?^^;

例えば、市会議員と協力して制度のあり方を「より良くしていく」
というのを目的に日々の活動をしている団体ってのはあるのか、
あるのならどれくらいあるのかしら?

再婚してからのここまでで、いったいどれくらいの書類を書き、
提出したことか・・・この仕組みを変えていくには
どうしたらええのやろ?と考えるようになりました。

相変わらずの縦割りの結果?と思うておりますが、
個人で市会議員に言うても埒アカンでしょうし、
かといって、毎回クレームつけても一緒でしょうし。

母子家庭手当ての権利喪失。
簡単に言いますと、男ができたら喪失なんですね。
恋人でなくても、友人であっても、定期的に訪問する「男」が
できたら権利喪失なんですわ。特に調べもしませんわ。

女友達なら、同居していても、生活を助けてもろてても
権利喪失にはならんそうですわ。
もし同性愛者やったとしても、生活の面倒を見てもらっていても、
ええそうですわ。
もし私が同性愛者で、善意の友人でも、男やからアカンそうですわ。
もし調べて、「定期的に男が出入りしてた」となったら、
遡って返金させられるらしいですわ。

この辺のことを窓口で確認しての話です。
それが「法律」やからそうです。おかしな法律ですわ。

男ができた時点で、「扶養者」とみなされるそうですわ。
そして「おかしいんやないですか?」と訊いても、
「ルールですから」ですわ。

さあ、そこでです。
いくら窓口で、ああだこうだ言うっても埒があかない。
かつ、職員の方も、心を閉ざし、かたくなにもなるでしょう。

クレームではどんならん。
ましてや法律なんて、いち個人が、どないほざいても一緒です。

ほんなら、どんなやり方があるのかいな?と考えるわけです。
これまでの行政に対してのやり方ではない、
提案型市民団体てなものなら機能せんかいな?と。
時間は相変わらずかかっても、数多くの提案をし続ける団体、
ということが認知されるようになれば、役所職員とも協力関係を
作っていくことができ、変えていきやすくしていけるのでは?
と素人想像をするわけです^^;

とにもかくにも、職員の発想を変えてってもらわんと。
「無理です」から「できるかもしれないので、やっていこう!」に。

市会議員にしてもです。
なにせ距離が遠い^^;選挙以外で関わることがない。
これではいかん。しかし、関わる方法がこれまた分からない。
根性もない^^;煩わしそうだ・・・。
これでは、彼らは変わっていけない。
それこそ有権者の後押しや協力、関係が必要よなあ・・・

なんてことを考えながら、今日も紀乃花と戯れています^^
さあて。
もうちょいイメージを膨らませ、あれこれ考えてまいります。
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by haafuu | 2013-04-19 13:50 | nonoka

さ、将来ですわ、将来

この春、小学2年生になった娘です。秋に8歳になる。
今はまだいいけれど、さ、将来ですわ、将来^^;

大人になっていくにつれ、それなりに物事が解っていくのだろうとは
思いますが、期待はあっても現実はどこまでいけるか判らない。
普通に就職、なんて無理でしょうし、
障害者雇用枠にも入れるかどうか。
たぶん無理でしょう。

さあ、そうなると、どなして生きていくのかいな、と考えます。
「夢と希望」については、また記すとしまして、
今日、FBで知った考え方が「構造化」というものです。

曰く、

「『構造化』は、私たちの社会の仕組みやルールを
自閉症の方たちが理解をし、
自閉症の方たちが“自閉症の文化”を持ちながらも
私たちの社会・文化でともに生活をし、
共存していくことができるように環境を整えていくという
“環境調整”の手法」・・・

ということで、まだよう解りませんが、うちの子にとっても、
なにやらええ手法かもしれん、と思いました。

紀乃花はダウン症で、ダウン症だけならば、
「ダウン症の文化を持ちながら・・・」
てのが結構当てはまっていきそうですが、
紀乃花は、これに「重度の知的障害」に「自閉症」「多動性障害」が
加わってます。

特に知的障害は、重度が中程度になったとして、はて、
どれくらいのことができるようになるのは、私にはまだ判らない。
中程度にしていく訓練も、どこで、どういう考えで、
何をどうやっているのか、よく分からない。

『WHO(世界保健機関)は2002年に
 ICF(国際生活機能分類)を発表し、
 障害や障害のある方たちの生活を考える上では、
 その人が有している障害や障害特性によるもの(個人因子)と
 その人の生活をしている環境面(環境因子)の両方の側面を
 見ていく必要がある、と言っています。

 個人と環境の相互作用・相互の影響により、
 その人が感じる障害の程度は大きくなったり
 小さくなったりするのではないかと思います。

 2002年までは、障害は、
 その人が有している障害や
 障害特性によるものだけで判断をされることが多く、
 障害のある方たちに対して「治療」や「リハビリ」等が行われ、
 障害を治そうとしたり軽くしようとしたりする
 取り組みや考え方が中心でした。

 しかし、ICFの発表以降は、「治療」や「リハビリ」など、
 障害のある方たちに対して努力や頑張りを求めるだけではなく、
 環境を整えることによって、
 本人が障害を障害と感じる程度を少なくしていこうという取り組みが
 されるように考え方が変わってきています。
 「バリアフリーデザイン」や「ユニバーサルデザイン」というものは
 ICFからもその必要性を考えることができます』

環境を整える・・・。
共存していくことができる社会・・・。

社会全体の理解は必要で、それがあってこそとも思いますが、
実際に「生きていく」「飯を食べていく」ということを、
紀乃花ひとりでは、まあ難しいわけでして、
で、彼女の働く場というのも、
現時点での想像では、これまった、まあ難しい^^;

ならば、紀乃花の利点は何か?
紀乃花の描く「書画」に可能性はあるのか?^0^
或いは、なんとなく感じる「特殊な能力」は、
果たしてほんまにあるのか?
紀乃花に「癒しの力」があったとして、
それで報酬は得られるのか!?

次回は、「夢と希望」について。
ええ、親バカワールド全開!かも^^;
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by haafuu | 2013-04-17 15:20 | nonoka

天才喜劇役者か

自傷行為のひとつに自分の頭を壁にぶつけたりします。
その行為が親の頭や肩や体に及ぶことがあります。
こないだも母親が服を着せてるときに、母親の頭に頭突きを
食らわしよりました。
もたろん、怒ります。あかんやないか!と諭します。
忍耐比べ的に、親として「怒ってるぞ!」の空気を
ののかに伝えます。
本人も何かいけないことをしたというのは
解ってるらしく、神妙な顔をしてます。
その時ですわ。立っていたののかの右足が
微妙に流れていく。じわーっと滑っていく。
その間合いというのか、ほんま絶妙なんですわ。
思わずこちらは笑いそうになる。堪える。
でもどうしようもない。負けですわ。

こやつは天才喜劇役者か!と思うくらいです。
ほんま絶妙に足が床を滑っていく。
本人の顔は神妙です。まさに緊張と緩和。
笑いの鉄則をののかは知らずにやりよる。
おもろすぎてたまりません。

笑いを堪えながら、こらえきれず。
親の負けを認めつつ、しかしののかは解ってる、
理解してくれてるだろうと信じながら終了。
こういうことがいつもある。
その度に、こやつは凄い!と思う日々です。
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by haafuu | 2013-04-11 20:11 | nonoka

五木ひろしのモノマネ

親は「似てる~」と絶賛している五木ひろしのモノマネ。
最近は、「五木~♪五木ひろしだよ~♪」(「夜空」より)と私が歌い、
モノマネのフリをしています。

するとこぶしを握り、いつもの「五木顔」になる。
もちろん、やる時と知らん振りの時があるのですが^^;

その時、なぜか片足を後方に上げてバランスを取るような格好もする。
紀乃花オリジナルなんでしょう。

とはいえ、本人は「五木ひろし」なんて知らないし、
親が教えた、というか、ある日やった変顔が似ていたので
勝手に「五木ひろしのモノマネ!」にしただけなんですが。

親がウケるのが楽しいようです。
楽しいことが好きなのは、子供に限らず、人間みなそうですよね。
大人になると、そうも言うてられんのですが、
この「楽しい」には、大きな力もあり、本質があると思うてます。

健常児の躾は、基本的に「理解できる」が前提だと思いますが、
うちの場合は「理解できない」が基本です。
少なくとも、健常児より相当時間がかかります。

人を叩く、自傷するなど、必要に応じて、
厳しい顔つきで「だめだ」と伝えていますが、
その他のことは「楽しい」が力となります。
健常児の躾についてもそうだと思います。

五木ひろしのモノマネがいったい何の役に立つのか、
でありますが、いやいや「オモロイ」はたぶんどこかで役にたつ。
親が言うことをきくと「どうも良さそうだ」ということが解ってくれたら、
色んなことを教えていくのにも役立つのではないかと思うてます。

こう書きながら、「なるほど、そういうことかもしれん」と自分で納得しました^^;
健常児の躾にも通ずるところがあるのではないかしら。

「案外、解っとるで、こやつは!」と思うてます^^;
なんとか理解していこうともしとるようです。

親子のコミュニケーション・ツールとしてのモノマネ。
いつでもできるようになれば、それは他人とのコミュニケーション・ツールに。
それは紀乃花にとって、自分を守るツールのひとつにもなる。

「紀乃花ちゃん、おもろいなあ!」で、友達ができる。
そして紀乃花は、その友達の顔を叩いて泣かす・・・
アカンがな^^;

道のりは険しい^0^;;
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by haafuu | 2013-04-03 19:25 | nonoka

音楽の力

「お歌〜、お歌〜」とよく言います。
童謡が定番ですが、アップテンポの曲にはノるようです。

前に、ユニクロでかかってたヒップホップ系の音楽で
横着にも、座りながらダンスしてましたし。

友人が「音楽を聴くのではなく、感じるのでは?」と。
なるほど、そやわ。感じてるんやわ、きっと。

音階は取れないのですが、リズム感は確かにいい。
例えば、「君が好き♩」なんて歌詞があると、意味は分からないまでも、
いつもの口癖「なんでやねん」を、そらまあ、ええ間でいいよります。
親は爆笑^0^

ちなみに、友人の歌「たとえば」というオリジナル曲があるのですが、
これがお気に入りで^0^



小田和正は「終わりやぁ」「むりきらい」やそうです。
なんの好き嫌いかは分かりません^^;
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by haafuu | 2013-04-02 15:50 | nonoka

トイレ練習

いよいよトイレ練習を、ということでして。
ほんで今朝。
大きい方をもよおしましたので、妻に「紀乃花、連れていこか?」
と半ば冗談で言いましたら、「見せてみて」と^^;

ほんまかいなとも思いながら、紀乃花の手を引きトイレへ。
「おとーたん、これからトイレ」と伝えながら。

ドアを開け、ジーパンなどをおろし^^;いざ!
「きばってる顔して」とリクエストがきたので、
すんなりモードであったにも関わらず、きばり顔を、紀乃花に。

すると、紀乃花。
ズボンを脱ぎ出し、オシメも脱ごうとしまして。
ええ、真似をしたのでしょう。

こうなると、便器に座らせるまで?と一瞬思いましたが、
いやいやいや、まだ途中やし、こっちは!ということで、
紀乃花にはお引取り頂いたわけです。

こういうことから1歩づつ?
何事も物まねから?
ほんまかいな。

あと何回「見せ」なあかんのかいな。
妻よ、今度はお前の番だ!!^0^
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by haafuu | 2013-03-29 14:28 | nonoka

自傷行為

これが治まれば随分いいのですが、中々そうはいかない。
右手で自分の側頭部をバシっと叩く。
何が起っているのか分からない状況だと叩く。
自傷だけでなく人の顔も叩く。それも相当痛い^^;

去年の9月頃は、親はもちろん、お友達の顔、先生の顔も叩いてました。
ある日の学校参観で、先生が紀乃花に顔を叩かれたのに、
何も無かったように振る舞っていたのを見て、気の毒であると同時に
「おかしんやないかえ?」と思いました。

まだ妻になる前の妻に訊くと、本人が叩く状況にしてしまったことが
良くなくて、叩く本人を諌めないという意味のことを知りました。

え?おかしいんちゃうん!?
なんぼ障碍児で判断力が乏しいとしても、
人の顔を叩くのはアカンて教えなアカンやろ、
アカンもんはアカンねん、と私は教えたいと妻に言いまして、
以降、妻のアドバイスを受けながら、
「顔は叩かない。何か伝えたい時は、肩を叩きなさい」
という感じで伝え続けました。

するとですな^0^
いつの頃からか、12月くらいからか、叩く回数がめっきり減り、
今ではほとんど叩かれることはなくなったのですわ。いえい!

学校でも人の顔を叩くことはほとんどないらしい。
成長しとるがな。伝わっとるがな^0^

自傷行為はまだあります。
しかしそれも以前に比べると躊躇する時もあるし、
以前に比べれば随分マシになってます。
もちろん、ほんまにパニクった時には、バシっといきよりますが。
これがまた引くんやなあ、さすがに^^;ドキっとする。

それでもね、先日、支援施設のイベントに参加した時、
パニクり状態になったような時に、
足を投げ出して座っていた紀乃花は、
側頭部ではなく膝辺りを叩きよりまして、
「今、頭にいけへんかったで」と妻と確認。
こら進歩やがな!と感動したのでありました。
その1回だけですが^^;

頭を叩かない。それを教えるためにやってきたことは、
紀乃花が叩く度に「頭は叩かない」と言いながら、
側頭部を撫ぜまわしてきました。
これが、どうも紀乃花には「遊び」だったようで。
これ、失敗ですな^^;

今も、「こんにちは」と紀乃花が言い、
「こんにちは」とこちらが返すとパシ。ええ、バシではなくパシ。
遊んどりますわ。

「頭はなでるぅ」と言葉は覚えた紀乃花ですが、
そう言いながら時にパシっ!やもんなあ。

併せて、自分の太もも辺りやお尻を叩くように、
毎回「ここを叩きます」と指導してるのですが、
今のところ、あの1回だけですわ。

何が正解になるのかは分からない。
試行錯誤しながら、様子をじっくり観察しながらやってます。

ただ、成長してきているように思います。
「かしこなってんちゃうん!?」と夫婦で笑いながら、
そろそろ「トイレ」を教えていこかというところです。
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by haafuu | 2013-03-27 17:03 | nonoka
紀乃花と暮らすようになって4ヶ月。
ここまでの感想を。

嫌なもんは嫌、好きなもんは好き、これがはっきりしてます。
これは自分と照らしてみても、「そらそやわな」と思える。
ただ健常者は自己抑制が、コントロールができるし求められる。

紀乃花はそれが「全くできない」のではなくて「できることが少ない」のですが、
ざっくと大きく括れば「よう似たもんやん」というのが結論です、ええ私らと。

昨夜、風呂場で頭にバリカンをあてました。丸坊主なもんで。いや、ハゲなもんで^^;
その時、唾を何度も吐く癖があるようです、私に。
口の中に何かが入って唾を吐くのではなく、なんや癖のようです。
自己分析すると「なんや落ち着く」感じです。
或いは、唾を吐いてないと「なんや気持ち悪い」感じです。

いつから始まったのか分からない。
妻に指摘されて気づいたこと。

やめろと言われれば止めれるでしょう。
でも、言われなければこれからもやるでしょう。

他人から見たら「なんで?」なこと。
でも本人には「いつものこと」です。

他人から見て「なんで?」が紀乃花には多いけれど、
本人は「いつものこと」なんでしょう。ええ、ここですわ、
似たようなもん・・・。

私も紀乃花と接する以前は、
障碍児童を「特別」或いは「特殊」というような感覚で見ていました。
今も「まあそら特殊やわな」と思います。
しかし、基本的なところ、根本、人間くさいとこは「似たようなもん」となりました。

いや、紀乃花を見てると「人間よなあ」とホンマ思います。
人間やし、こうやわなあ、本来は、と。

嫌なもんは嫌やし。好きなもんは好きやし。

この大前提って、実はとても大事なことではないかと思うのです。
その前提があってこその「障碍者」ということではないかと。

そしてこの前提は我々にも当てはまるし、必要なことです。
自己抑制やコントロールは「覚えてきた」だけのことです。

覚えられない、覚えにくい紀乃花に対して、「大前提」を外しては
たぶん親が参ってしまうのではなかろうか?そうも思います。

もちろん、「アカンことはアカンねん」と伝え、教えています。
でもたぶん「嫌なもん」を「好きなもん」にどう変えていくか、
こっちがテーマやろうと、
書き記しながら自分の考えが少し整理できました^^;

トイレに行くことを教えていこうと、暖かくなったのでやろうと思ってます。
聞けば、オシメでしてしまう不快感よりトイレでする「気持ちよさ」を
教えていくんですってね、普通。

紀乃花にもそこを教えていきます。
ただ時間が「普通」よりムチャかかるのは間違いないでしょう。

トイレに行くのが「好き」「気持ちいい」になんとか。
思えば、私も脱糞の快感を知っています^0^;
皆さんもご存知でしょう。
繊維質のものを食べようと思うのは、その快感を知っているからでしょう。

よう似たもんです^0^


※障害・・・本来「障碍」「障礙」と書いて、ものごとの達成や進行のさまたげとなること。
  また、さまたげとなるもののこと。
当用漢字以前には「障碍」と書いていたもの。
「障碍物」など、明治時代から多用された語である。
  現在のような「身体の器官や能力に不十分な点があること」
という特定の意味ができたのは後年のこと。

  「障碍」か「障害」か「障がい」か、或いはもっと違う言葉か。
  どんな言葉を使うのか考えるところではあります。
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by haafuu | 2013-03-21 14:11 | nonoka