ダウン症で自閉症、かつ知的障害・多動性障碍児の娘と保護犬


by haafuu
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久々に再開

これまでの整理を少々。
昨年、10月にブリーダーから犬を飼い始めた。
ののかに何かしらいい影響があるかもという思いもあって。
雌の「マルチーズとトイプードル」のミックスで名前を「ゆき」とした。
それまでにも保護犬カフェには行くようになっていたが、
初めての犬ということで信頼できそうなブリーダーから買い求めた。
しかし保護犬カフェに行かなくなったわけではなく、
今年3月。妻が「この子、可愛い」ということで鶴橋の保護犬カフェへ。
ロングコートチワワの雄で2歳になる少し前、後ろ足にパテラという脱臼しやすい障害を
抱えていた。
2回会いにいって、2度目に引き取る事を決めた。
名前は保護犬カフェで付けられていた「ライム」をそのまま使うことにした。
うちに来てから、先住犬のゆきは下痢をするわ、慣れるのに少し時間はかかったが

すっかり仲良くなった7月半ば。
またまた保護犬がうちに。
今度もパテラを抱える、しかしライムよりは重症で、
左後ろ足を使うのに不自由があるくらいだ。
それでも、3本足で元気よくは知るけれど。
名前は「のこ」とした。

先住犬2匹は、のこと距離を取りながら、慣れるのにしばらくかかった。
のこはまだ3ヶ月と少々。遊び盛り。ゆきは夏の暑さのせいもあってか、
食欲はなくすわ、吐くわだった。
そうそう、ライムは時折変な咳をするし、嘔吐もする。

難儀な保護犬2匹とゆき、そしてののか。
ののかにどんな「いい影響」を及ぼしているのやら。
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by haafuu | 2016-09-06 14:47

ほんま腹立つわ〜^^;

デイサービスがお盆休みということもあり、
娘とがっつり過ごしました。
嫁はんは、毎週金土を娘と過ごし、日曜日にようやく
私も参加して3人で過ごす、てなことですが、
まあ、疲れたというかなんというか^^;

昨日、ようやくデイサービスが再開。
送ってきてくれた先生が「ののちゃん、自己主張MAXですね」
と言うてはったそうで、これで合点がいった。

この夏、なんや、やたらと元気というのか、声を張り気味に、
よう喋るようになったなあ、感情表現が前よりできるようになった?
その分、うるさいうるさい^^;てな状況でしたが、
なるほど、成長していってるんやと思いました。

そんな中のお盆。スーパーに行ったときのこと。
パックのカレイを手にとったかと思うたら、指をぐいーとしよった。
お陰で晩ご飯は彼の煮付けに^^;

離して、といってもこれが言うことを聞いてくれん。
意地になったかのように掴みっぱなし。
そこで私は「離すといったら離す」というのを娘に懇々と
言い聞かせました。理解はでけんやろうと思いながらも。
いつものことで、ほんま離さない。さらに・・・。

歩こうとしないので抱いてスーパー内を移動してましたら、
すれ違った女性の襟元を掴みよった。
こういう時も、むっちゃ素早い。
ほんでまた中々離さない。
指を一本づつ開きながら、やっと離させました。

年配の方でしたが、とても驚かれた様子。そらそやわ><
一瞬、首絞まった思いますわ。
ひとしきり謝り、レジへ。
レジが終わって、数台向こうのレジを見ると、いてはりました。
近寄って、再度謝罪しました。

謝るのはなんぼでも謝りますわ。
しかし、他人様に迷惑をかける行為を止めさせる、減らしていくには?
と考えると、しつこく「アカンもんはアカン」というていくのも
必要なことやと思うてます。

外食時に気をつけなければならないのは、
目の前にある自分用の子供食器を勢い良く手で払いのける、
口に含んだ水を吐き出す、それも「ぺっ!」と言いながら。
一旦口に入れたら、飲み込まんかい!と思いますが^^;

こういったことはこれまでもあったんですが、
この夏は、なんか元気に「表現」するようになったなあ、
と思うてたら「自己主張MAX」か。なるほど。

嫁とディスカッションしました。
彼女は経験と知識による対応の仕方を言い、
私はそれを理解し、まだまだ私に足りない点を考慮しながらも、
やはり「アカンもんはアカン」というのを
繰り返し伝えていくのは必要と言いました。

3年後、5年後、10年後・・・
知的障碍を持ちながらも、娘なりに成長していく。
普通の子のようには理解できなくても、
教えるべきことを教えていく。だって人間やもん。
「きっと解ってくれる」と私は信じております。

自閉症も含め、その対応には知識も大事。
なにせ、でけんもんはでけんと。
しかし「出来ること」を少しずつ増やしていく。
それが期待の100分の1でも。

しかし、腹立つなあ^0^
だいたいね、自己中なんですわ。
ま、それが人間の基本なんでしょうが。
それでいて、愛情豊かに関わってきてくれよる。
それが人間てことなんでしょう。
変顔に笑顔に、表現力も豊かですわ。

しかし、腹たつなあ^0^
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by haafuu | 2014-08-19 13:17
「三つ子の魂百までも」とは、幼い頃の性格は、
年をとっても変わらないということ、
幼い頃に習ったり覚えたりしたことには用いない、
と辞書にはあります。

また、養老孟司氏は、「人間は年を経るにしたがってどんどん成長し、
考えも変わっていく、それなのにいくつになっても幼い頃と変わらずに
保っているところがあるようだ、すごいことだなぁ、
という感慨に似たもののはずだ」
と著しておられるそうです。(教えてgooより)

一方で、
「胎児期から3歳までが、
 人間の一生でのうがもっとも急速に発達する時です。
 育児環境の質の良し悪しが、
 その発達していく脳の組織と機能に
 深い影響を及ぼすことが、
 脳医学の発達に従って顕著になってきています。

 この発達期に長期にわたる虐待や放置、
 無視(泣いても抱いてあげないなど)や、
 一貫しない育児方法、何時も異なる世話人等を経験すると、
 それは、トラウマ的(心的外傷的)経験として、
 幼児期に持続する過覚醒反応を起こさせ、
 脳神経発達や、中枢神経系統に障害を与えるのです。

 こういった子どもたちには、
 往々してPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状が出るようになり、
 また、愛着と、感情を調整する、
 orbitofrontal cortexと呼ばれる人間の顔の表情に例:母親の笑顔など)
 に敏感に反応する脳の部分が充分に育たないため、
 衝撃的で暴力を振るってしまう傾向が現れます。

 これを「愛着障害」といいます」というのもある」
 (以上、Yhoo知恵袋より)

諺としては辞書の意味のように正しい使い方をすべきですが、
胎児期も含め、3歳から5歳くらいまでの「保育時期」というのは
その後の人格形成にとても大きな影響があると、
自分を振り返ってもそう思います。

待機時児童問題があります。
保育士のなり手が減ってきている、質が落ちてきている、
というのもあるそうです。
モンスター・ペアレンツもおり、かつ「クレームつけんと損する」
というくらい不信感が社会に拡がっていると思います。

保育はいったい誰のためのもの?

まずは「子供のため」であるのは当然のはずなんですが、
どうも今は親のためが中心になっているようです。

もちろん、親があっての子でもあり、子育ての大変さを考えれば
「子にとっての親の利便性・負担減」というのも解ります。

でもなあ・・・。

子供の「その後の人格形成」のために、
親を、大人を取り巻く環境をどのように良くしていくか、いけるのか、
それはつまり「より良き社会」をどう創っていくのか、
ということだと思いますが、
この「社会全体像」を考えないと、目先のことばかりに追われる、
対処のみに奔走するという、とても不安定な状況にしかならないと
思うのです。

戦後、形成された「日本型個人主義」といえる価値観は
「和をもって尊し」なんてことより「我がが、我がが」というものを
どんどん押し進めてきたし、なお進行中です。

もちろん私も偉そうなことは言えません。
でも、さすがに50も半ばにき、娘を持ち、色々と考える。
「まだ間に合う?」のならば、何が大事なことなのかを整理せんと、と。

そうなるとやはり、とにもかくにも「未来を担う」のは子供であり、
子供にとって、少なくとも保育時期に
どんな環境を創ってあげることができるのか、
そういうところから考え直すべきなんやないか?
子供にとってベターな環境は、大人にとってもベターだろう、
もっと言うと、障碍児にとってベターな社会は
人間にとってベターなんちゃうん?
そう思うのです。

子供を甘やかすのではないし、子供べったりになるのでもない。
「5歳までに親孝行は終わる」という話もある。
それなら「5歳くらいまで」をとても大事にする価値観、
親にとって、子にとって、「大事な時期」という価値観を
社会のベースにしていけんもんかと思うんですなあ。

実際にやること、日々の暮らし、現実を考えれば、
そない変わらないとも思うし、そない変えることもない、難しい。
それでも「ベースとなる価値観」をきっちり持っておくのと、
そうでないのとでは、
同じことをやってても違う結果になると思います。

三つ子の魂百までも。
性質は年をとっても変わらんけれど、
保育時期に子供が感じた様々なことは
性質に大きな影響を与える。
ここ、ここをなんとか実感していかんとと思いますわ。
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by haafuu | 2014-04-04 13:54

トイレ記念日

3ヶ月弱も空いてしもうてた^^;
この間、やや言葉数も増えたり、
本人の理解度が進んできているようには思う。

そんな中の「トイレ記念日」である。
ここひと月ほどかな、本人が「トイレ」といった時、
トイレに連れて行き、予行演習的にトイレ・トレーニングを
実施してきた。

ここ2ヶ月ほどは、夜中に起きてくるようになっていた。
それはオムツに溜まったおしっこが気持ち悪いからか?
そんな理解を夫婦でしていた。
わかってきてるん?そう捉えていた。

そんな中での昨夜である。
10時40分頃に、それは達成された。

寝室のドアに付けている補助扉が開く音がした。
「起きてきよった」と耳を澄ました。
階段を降りてくる音がする。
妻が迎えにいった。そしてそのままトイレへ。

ちょうど私も尿意を覚えていたので、待っていた。
オムツを替えるにしては少々時間がかかっている。
リビングのドアを少し開けて、様子を伺った。
娘を褒める妻の声が聴こえる。
なにかいな?と思っていた。

妻と娘がリビングに戻ってきた。
「うんち、しやった!」と喜ぶ声。
「え?!」
「トイレでうんちしやってん。ほんでついでにおしっこも」
「ほんまかいな!?」
「本人はびっくりしやったみたいで、私に抱きついてきやった」
「うそ〜!マジかぁぁぁ!」

じわ〜っと喜びがこみ上げてきた。
なんやろ?この「感動」にも似た感覚は?

リビングに座るののかを二人して褒めた。
どこまで解ってるかは別にして、
いつもトイレでできるようになるには、
まだまだ時間が必要なのも別にして、
二人で褒めた。そして写真をとった。
ある意味、無理矢理「喜んでるの図」のような
ポーズを娘に求めた^^;

そして娘はあくびをし、いつものマイペースへ。
さて、今度トイレでできるのはいつのことやら。

普通の子供ならすぐに出来ることが、娘はかなりの時間を要します。
普通の子供なら出来て当たり前のことができません。
でも、普通の子供にも個人差があります。
辛抱強さが親には必要なうちの娘ですが、
普通の子供さんにも、何か参考になると思います。

時間・・・というのがキーワードになりそうです。
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by haafuu | 2014-01-22 12:30

家族について

遅ればせながら家族を持った。
一度失敗している。家族になれないまま。
いや、そもそも「家族」というものを意識してなかった。
「家族って何?」と。

一般的には、若いうちに結婚し、子供が出来て家族になる。
それまでの家族から新しい家族が出来る。
子供がいない夫婦は家族ではないのか?
もちろん、そうではない。
でも、ペットも「家族」とするようになり、
やはり夫婦二人だけでは、なんか違うよなあ・・・
なのかもしれない。
そもそも「家族の定義」てなさそうやし。

しかし一般的には夫婦と子供、或は祖父母がいる家庭を
「家族」と呼ぶ。
グループなら家族で、ユニットは家族やない?
そんな区別もないやろう。

「家族とは夫婦と子供1人以上」てな定義をしたら、
これはもう大問題!と騒々しくなるやろう。

バクっとした「家族」のイメージを
多くの人は持っていると思う。
曖昧さがあるからええのよね。案外。

シングルマザーが増えているそうだ。
「嫡外子の相続差別」に違憲判断が出た。
「家族を崩壊させるもの」という反対意見も強い。

法律のことは解らん。

東北大震災後、「家族の絆」「地域の絆」が
大事だと言うようにもなった。

バクっとした「家族」と法律の「家族」とは
どうも捉え方、理解の仕方が違うように思うが。

シングルマザーでも、本当は「家族」が機能してる方が
ええよね。
夫婦で助け合い、協力し合いながら子育てをし、
未来を描き、幸せに人生を過ごしていく。
ま、ほとんどの人が程度の差はあれ思い描くことでしょう。
違うのかな?

かつて「家族というものを解っていなかった」私とて、
実際に家族を持つようになって、
「そうか、家族か」とそれなりに理解した。

夫婦という、個人同士の、男女の関係がまずはあり、
そこに子供がいることで、親となる、親として
色々考えていく。

基本は個人であったとしても、
「個人の尊重」が完璧に達成されることはない、
いや、子供のことがやはり一番にきて、
「俺という個人」は、やや優先順位を下げる。
2番目は妻です^^;

それでも、家を出れば「俺という個人」が全開に。
しかし職場では「俺」が優先順位のトップになる訳もなく、
となると法律上の「個人の尊重」と日常の「個人の尊重」
というのも分けて考えるべきやないか?

ごっちゃになりすぎてることが多いように思う。
曖昧さが案外良かったりするけれど、
境目がないというのは、これまた厄介なことだ。

家族の話でした。
色々意見や考え方があるけれど、
「個人」は他人に支えられ、助けられ生きている。
家族になることで、地域との関わりが具体的になる。
子供にとってベターなことを考えれば、
学校とか地域とか、グループとか、関わりが必要になる。
それは独身では中々ないことだ。

虐待が増えてますやん?
「私は個人として生きている」という意識より、
「私は家族として生きている」という意識を
持てる方が、実は救われる、助けられるようになると
思うんですが。

「個人として生きてる」なんてことを意識してる人は
そう多くないと思うが、無意識にそうなっていて、
他者を意識できない、もっとも身近な他者である
我が子との関係を作れない人が増えているような・・・
ま、勝手な仮説ですが。

僕も偉そうなことは言えませんで^^;
ええ歳こいてようやく・・・ですから^^;

「家族」とはなんぞや?
ここから考えないと、「家族の絆」なんて言葉も、
嘘くさいものになる。

そもそも「家族制度」とは?
この辺もまた考えてみたいと思います。

最後まで読んでくれたあなたに、ありがとう^0^
ええ、こんなん言えるようになりましてん^0^
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by haafuu | 2013-10-30 19:19

慣れる、ということ

「慣れる」というタイトルですが、
実は「慣れない」ですわ、紀乃花の自傷行為に^^;

癖のように軽めに叩くののは慣れてきましたが、
本気モードの側頭部叩きには相変わらす驚きますし、
切なくもなるし、えらい影響を受けます。

それが紀乃花の「心の叫び」やとしても、
おいおい、そらお前、ワガママというもんでっせ!と思う。
それでも、それを言うても解らんので、妻に聞きながら、
妻に相談しながら、どんな対応がええのかと工夫してます。

自傷行為に慣れない、と書きましたが、
他傷行為なら尚更でしょう。
家では顔を叩かれることはほぼなくなりまして、
こら成長やなと喜んでおります。

体を叩いてくる時は、それこそなんぞ伝えようとしての行為で、
バシっと叩くことは少なく、私の場合、まあ少々の叩きは全然大丈夫です。

しかし、これが今も「顔叩き」ならば慣れないし、耐えられんかも。
「慣れた」ような対応をしたとしたら、それは脳内変化てなことを
した結果でしょうから、どこかに歪みが現れてくると思います。

体罰で、日常的に平手打ちを頬にされたり、頭を叩かれたりするのは、
例え指導を受けている側だとしても、例え叩かれている本人が
納得していると言ったとしても、それは無理に「脳内変化」をさせて
いるだけで、何か歪みが蓄積されやがて現れると思います。

「顔」を叩く、首から上を叩かれるというのは、
人間にとって、最も大事な脳への脅威で、だからこそ、
他の場所よりも影響が大きいのではないかと。
もちろん、他の場所でも叩かれるのは生存の危機というべき
ことでありましょう。

そんな危機意識があるので、紀乃花の自傷にも同調してしまう
ところがあるのかもしれません。
胸が、心がとてもざわつく。悲しくもなる。
止めさせたいと思う。粘り強く伝えていきながら、
「代替」を与える、それによって不安を取り除く。
そんな話を昨夜、妻としましたわ。

紀乃花が自傷した時、「大丈夫や」「全然問題ないで」と
語りかけてます。これも必要なことかと思うてます。
「まあ、大体のことは大丈夫なんや」と紀乃花が
解ってくれるようになると助かるなあ^^
本人にとっても助かるでしょう。

少なくとも親とおるときは「大体のことは大丈夫なんや」と
思うてもらい、しかしそれでも完璧なことは無理ですから、
その場合は自傷も仕方なしと。
せめて側頭部やなく、他の場所にしてくれるようになったら、
そらも喜び〜です^0^

大体のことは大丈夫、てのは夫婦でも友人、仲間でも、
大事なことでしょう。
「またやってもうたんかい!」とか「なんでやねん!」
てなこともあるもんですが、それでも「まあ大丈夫やろう」
という信頼というか、ある種の諦めというか^^;
そういうもんで関係というのは維持されていく。

ま、とかく人間というのは自分勝手なもんで、
自分のことは棚に上げて、てなこともよくあることですが。

そや、最終的に何が言いたかったかというと、
「障碍児の紀乃花に教えてもらう、『人間てよう似たもんよ』」
やったと思います^^;たぶん
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by haafuu | 2013-10-01 12:24
どうも此奴は解っているようである・・・と思うことが結構ある。

かまってもらいたいからか、ただなんとなく、
そんな気分になったのかは別にして、
コップのお茶をテーブルにまくことがある。
注意をすると、「私、わからへん」という顔をする。
しばらく考える。頭の中を整理しているのかもしれない。
その「わからへん」という顔が、最近は「わかってるねんけどな」
に思えたりする。

「紀乃花さん、解ってますやん!」と突っ込む。
「紀乃花はできるのよ」とやや褒め作戦で対応する。

根気がいるけれど、この1年、
ちょっとずつ出来るようになってきているから
繰り返し繰り返し、伝えていくようにしている。

で、「此奴は解っとるで」と信じながら対応している。
理解できないからを前提にした対応ではなく、
理解できる、時間がかかるだけ、という対応だ。

結構ずるいしなあ、紀乃花^^;
ああ、これが人間なのね、これが知恵なのね、
そうよね、こういうもんなのよね、人間て・・・・
と思いながら、それがまた面白い。

そして今日も、こちらが隙を見せたら即、
「あ〜それをいじりにいくかぁ」というものに
手を伸ばす、床に放り投げる。

そないかまって欲しいんかい!
かまうから・・・の行動でもある。
わかっちゃいるが見過ごせん。

さあ、この部屋なら何をどうしてもOKよ!
という部屋があればええのかもしれないが。
でもなあ、結局片付けるのは親やしなあ。

此奴はきっと解ってやっとる!
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by haafuu | 2013-09-19 13:01

紀乃花にみる私

夫婦二人で大笑いすると紀乃花は怒ります。
何故、親が盛り上がってるのか解らないから、
自分が放ったらかしにされたと感じたから、
疎外感?そういうようなことだと思います。

「お父さんとお母さんが笑うてるときは、
 一緒に喜んだらええねんで」と諭します。
ええ、今は理解できないと理解してます。

考えたら、あるもんなあ。
グループで飲んでて、自分だけぽつんとなってる、
自分にはよく解らない話題で隣が盛り上がってたら、
どういうこっちゃ!?と思うもんなあ。

うちの事務所でもアニメの話で盛り上がりよる時があるんですわ。
私も大人ですから、解らんなりに微笑んでますが、
そこそこ聞いたら、「アニメの話はもうええちゅうねん!」と
言います。ええ、言いますとも!

ですから、なにも紀乃花だけが特別な反応をしているのではない。
ただ、自傷が激しくなる、本気でバシバシ叩きやるので、
それはまあ特別かとは思いますが。

となると、「紀乃花、これからお父さんとお母さんは、とても
面白い話で盛り上がるので、一緒に聞いといてね」
なんてことを伝えればいいのか?ないなあ。
いつそうなるか解らんのが会話の妙やし。

うちの事務所で、若いのが「畑中さん。これからアニメの話で
我々は盛り上がりますので、少々聞いといてくださいね」てなこと
言われてもなあ。ないなあ。

引きこもりというのは、「疎外感が辛い」ことを知ってしまい、
それならハナから関わらんといたら辛い思いもしなくていい、
という結果、なんやろか?

合コンに参加しても、ひとつも会話に参加できない、
そんなタイプなら、そら辛いわなあ。
そういうタイプに対してツッコンできたなあ。
いえいえ、私は優しいですから^^;、
そんな彼にも、或はぽつんとしてる彼女にも、
話を振る、いわゆる「回し」をしてきたと
記憶を辿ればそう思いますが^^;

私などは、ポツンとなるのが嫌で、中心的に動く、
グループの中心になるべく話題をふる、トークを磨く、
なんてことをしてきたんやなあ。

かと思えば、初対面の現場などでは、心を閉ざし、
仕事に集中することで、その「好きではない空気」から
自分を守ってきたなあ。

中には「人の話を、盛り上がってるの聞いてるのが楽しい」
という方もおりますな。
こういうタイプは、経験によってならば「身につけた」こと、
ということなのか、性格なんかなあ。

紀乃花をみてると、人間てのは「疎外」を不安に感じ、
しかし、一人遊び、一人の時間も必要で、
まあなんと我が侭っちゃあワガママな。
その切り替えが上手くできると自傷も減るのかなあ。
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by haafuu | 2013-08-22 17:11
FBの友達の投稿をちょいとお借りします。
すんません^^;

『サイトを作ってて、ほんま実感すること。
 ユーザーさんの気持ち、行動ってコントロールでけへんねん。
 コントロールしようとする意図を見透かされた瞬間に
 サイトから離脱されるねん。

 それは、私生活、教育でもそうじゃないんかな。
 「したくなる」ようにせなあかんような気がするねん。

 「したくなる」ようにするって難しいんやけどね。
 難しいから体罰とかDVがあるような気がするわ。』

この投稿にコメントしました。
まさにうちの娘は・・・^^;

で、障碍児向けのスキルとして「〜しようね」というのがあると
前回の記事でも書かせてもらいましたが、
ほんまなんぞ役に立てるんやないかと思うんです。

「したくなる」てのは、凄い力やと思います。
それさえあればなんでもできる!元気ですかぁぁ!!

FB友達の記事を読んでから、紀乃花の自傷行為が
側頭部から太ももか臀部になんとか移らせるには、
「太ももを『叩きたくなる』」にしていけばええのや、
と工夫しだしました。

ま、一筋縄ではいきませんし、無理かもしれない。
それでも紀乃花が「したくなる」というのがほんま大事で、
それが出来ればできるほど脳の活性化にも繋がりそうだ、
そんなふうに思います。

相手が「したく」なれば、こちらは嬉しい。
これが体験的に重なっていくとええのですが。

相手が「しない」から「させよう」とする。
これは忍耐力の要る話でもあるので、
ことさら「すべきだ」なんて言うつもりはありません。
ただ、子供に対して、障碍児向けの考え方、指導法などは
もっと知ってもらってもいいスキルやと思います。

自分の子供に対して「なんで出来ん?」と思いがちですが、
うちなんかは出来ないのが当たり前で^^;
障碍児と接してもらい、比べてもらったらいい。
そしてそのスキルを知り、工夫してもらったらいい。
子供らが楽しそう、幸せそうにしてることが
子供らにとって最も大切なことで、
それは大人にとって実は最も必要なことやと思います。

出来る子と比べられたら、子供はたまりません。
出来ない子と比べたら、
そこに「差別」が生まれるかもしれないので、
そこは「労りを」「助けてあげる」を教えないといけません。
でもそれができれば、出来ない子と比べることもええわけです。
どっちも助かる、てな流れになると。

まだまだ私は経験不足、知識不足ですが、
こんなことを考えながら、なんとか障碍児の、
「うちらも役に立てるねんで」を増やしていきたいと
思うとります。

そらそうですわ。
生まれてきたのには理由や意味があるんやもん^0^
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by haafuu | 2013-08-07 18:40

命令では動かない

うちの娘の性格なのか、それとも「人間の本質」なのか。
「〜しなさい」では紀乃花は動きませんわ^^;
「〜してね」「できるかな?」という伝え方が必要です。
妻の伝え方を学ばせてもろてるのですが、
私としては「命令形」も一部機能させていきたいと思うてるんです。

ところが、娘の性格かどうかはおいといて、なんですが、
「ほんまは人間て命令されたくない」てのが強いのではないか?
命令で動く、というのは、それこそ教育、躾という後天的な
もんではないか、いや、そうやできっと、と思うたりしてるわけです。

自分で考えれば、「〜しろ」と言われて「はい」と即動くわけもなく^^;
納得でけんと反発しますわ。

組織においては「命令」が必要です。
「命令する人である」というのが認識できていない、
「こいつに言われたないわ」なんて思うてる上司なら
こらね、反発します。そして左遷か^^;
そやから私は組織に向いてなかったのね^^;

つまり「命令」には関係が大事だと。
親子においては、その関係が出来ていると。
少なくとも生意気になる前まではと。

まだ判断力がない、ついていない子供の時には
命令によって教えていく、ということです。
判断力や自分の考えができるようになってくると、
「親父の言うてること、おかしいがな」となります。
親として、そこで「もはや命令だけでは無理だ。よし、
理屈で言うことをきかせよう」とも思うでしょう。

さて、紀乃花の場合。
〜しなさい、と命令しても動かない。
なんとか理解しようとしてる顔はしてます。
でも理解できないから動かない、動けない。
ということならば、人間は命令で動くのではない、
理解し「命令に従うべき」と判断できて初めて動くのだと
いうことやないかと思います。

〜しようね、で紀乃花が動くのは、
「そうするのが良いのだ」とは理解してるからでしょう。
母親の笑顔が好きだから、心地いいから。
なんか楽しい気分になるから。

ただ、紀乃花に危険が及ぶような時、
誰かに迷惑をかけてるような時、
それは私の命令に従ってもらわんと困るのやなあ。
そういう意味で、「命令で動く」ということは
紀乃花なりに理解してもらいとは思うている、のですがねえ^^;
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by haafuu | 2013-08-01 16:39