ダウン症で自閉症、かつ知的障害・多動性障碍児の娘と保護犬


by haafuu
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世界見方を変えてくれる50人の言葉~辺見 庸

日常とはなにか、私たちの日常とは。
それは世界が滅ぶ日に健康サプリメントを飲み、
レンタルDVDを返しにいき、
予定どおり絞首刑を行うような、
狂(たぶ)れた実直と想像の完璧な排除に上に成り立つ

~『たんば色の覚書・・・私たちの日常』(毎日新聞社)

以下、PLAYBOY誌に掲載されたいたもの全文です。
特に「感じた」ところは色を青にしてみました。

‘なにごともなく続いているかに見える日々の生活にどんな裂け目を発見し、
 どう対処するかーーー私達に突きつけられている最大の課題がこれです。
 世界の智者の多くがいま論議しているのは、
 <これまでの「日常」はすでに終った。
 かつてみたこともない規模と性質の風景がいま立ち上がっている>という、
 私達の生活全般にわたる、いわば異常現象を巡ってです。
 まず第一に、気候変動。地球温暖化はとっくに危険値に達している
 わけですが、それとともに、超大型ハリケーンや局地的豪雨、
 高潮の頻発、未曾有の干ばつや豪雪、酷寒・・・など、 
 気象の極端化がいま現在、進行中であり、日本の四季も
 もはや崩壊しかかっている。
 環境問題の専門家達はさしあたりの危機の到来を
 2030年と予測しています。
 熱帯夜がいまの何倍にも増え、北極の氷が激しく融けると
 予測されていますが、
 生態系の破壊をも含めると破局の規模は、
 実のところ予測不能なほど大きく、

 いま確実に判っているのは、
 間違いなく「トラジック(悲劇的)」だということです。

 悲劇が予想されるのなら、それを回避するよう努めるべきです。
 それが近代以降、20世紀までの人類史における良識というか、
 知的方法でした。
 しかし、21世紀現在では、破局の回避自体が難しくなっている。
 なぜかというと、悲劇や破局さえもが
 ビジネス・チャンスとしてしか捉えられない、
 万物商品化の世界と価値システムができつつあるからです。
 資本主義は、ケインズ的な通貨・金融の常識を突き破り、人間の意志や
 人智を超えて爆走しつつあります。
 サブ・プライム問題にしても、債権を証券化し、
 それが世界中に転売される過程で、
 悪性ウイルスのように予想を越えて拡大していきました。
 いまや市場や資本は人間のためにあるのではなく、
 人間がただ市場と資本のためのみ存在
 させられているわけです。
 資本は古典的な価値法則をみずからの延命のために食い破り、
 超資本主義ないしポスト資本主義という新たな段階に入っています。
 そこでは、国家や民族、倫理規範といった差異概念が、資本という、
 唯一的価値、つまりはオンリー・ワン・ワールドに呑み込まれ、
 気候変動のような人類全体が直面している危機の打開策さえ、
 利潤なし、儲けなしでは成り立たない、
 という、アポリア(論理的難点)に陥っています。

 そうするうちにも危機はますます深まっています。
 実体経済をはるかに上回るマネーが世界中に溢れ、経済も気候も
 いまや予測不能です。
 その意味では平穏な日常というのは終わりを告げ、
 恐慌や戦争といった、
 肝をつぶすカタストロフィと隣り合わせに私達は生きている。

 しかし、悲劇を予感しながら、私達はそれを回避する道ではなく、
 まるで催眠術にかかったみたいに、
 破局への坂を笑いながら転がっている。
 本質的にはトラジックなのに、現実はなぜかコミックに生きている。


 「恐るべき出来事というのは、
 ごくありふれた普通の日に起きるものだ」・・・
 ポーランドのノーベル賞詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカの言葉です。
 世界大戦も9・11のような事件も、
 あくびが出るほど退屈な日常のただ中に起きる、
 ということですね。彼女が訴えたかったのは、
 しかし、「ありふれた普通の日」なんか、実のところ、ありえない。
 「ありふれた普通の日」のように偽装された私達の日常
 が刻々育てている、破局への因子をみつけなければならない、
 ということです。
 戦争もテロも気候変動も、突然の変化に見えて、
 その実、数十年、数百年にわたる微小な変化の蓄積による
 爆発的な現象とも言えます。
 いま、足許で兆しているものに、もっともっと気を配る必要があります’


この文章を読み、転載し、そして僕は日常を過ごしてゆく。
たとえ「これまでの日常が終って」いようとも、
恐慌や戦争に見舞われようとも、
僕らは常に日常を行き続けていくしかないのだと思う。

不完全な想像は狂気を生む。
狂れた実直さこそが、正気をつかさどるための方法ではないか。

しかし、それがどんな日常であれ、
僕らは声をあげることができる。
こんな世界はおかしいのだと声をあげることができる。
おかしい世界の価値基準に恩恵を受けているとしても。
僕らは、「今ある規準」に対して柔軟だ。
文句を言いながらも対応していくくらい、しぶといさ。

それでも生き心地が悪いのならば、
声を上げ、行動していくことだと改めて思う。
「微小」な力であったとしても。
自分だけ大丈夫、だなんて、いい錯覚かもしれないが、
それは「偽装」にすぎないのだ。
「偽装」のうちに死ねたらいいけどね。
そうは問屋が卸さないだろう。
今日も祇園精舎の鐘は鳴っている・・・なんてね^0^
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by haafuu | 2008-01-14 15:18 | 言葉